「飲酒」と「喫煙」のどっちが悪者かな?

「オトコが一度始めたことを簡単に止めるもんじゃない」と少年時代から父に言われておりました。愚生が中学生になった頃、その父が「禁煙」をした際に、「お父さんは何故、一度始めたことを止めたのか?」と問うたところ、「『簡単に』は止められなかったぞ」と不思議な理論を振りかざしてきました。思えば、このようなヒネクレモノのDNAは遺伝しなくても良いのに残念ながら遺伝してしまうものなのでしょう。昨今、絶滅危惧種と化して久しい喫煙者の端くれとしては、あちこちで「禁煙したら?」と言われるたびに「オトコが一度始めたことを簡単に止めるもんじゃない!!」と吠えております。

愚生の少年時代(昭和30年代〜40年代)、ニッポンのお父さんはランニングシャツにステテコパンツでテレビジョンの前で片肘を枕がわりに、巨人戦を煙草をくゆらせながらビールを呑みつつ観戦しているもので、時々、臀部から号砲を発する・・・というものでした。愚生の父は愚生同様ハイパー下戸なので、その「ビール」の部分は欠落しておりましたが、他は全て該当いたします。その時代、「飲酒」と「喫煙」はお父さんのデフォルト値であり、何処へ行ってもアルコールとニコチンの混ざった呼気が存在していたと思われます。

さて、時は流れ、元号が昭和から平成に変わった頃から、何やら「禁煙」というものが流行し始めました。喫煙者は徐々にその居場所を奪われ、主に台所の換気扇の下かベランダに追いやられるようになりましたが、飲酒に関しては全くお咎めなく、時代が流れてきたような気がします。強いて言うなら、飲酒(或いは酒気帯び)運転に対する罰則だけは強化されたと思われますが、世の中のお父さんはあの昭和中盤の頃と変わらず「酒でも呑まなきゃやってられねぇよ」とか「酒を呑まないで本音は言えねぇよ」と仰せになります。そして、酒量を誇る傾向だけはほぼ変わらず、「イマドキの若いモンは呑みっぷりが悪い」とホザき続けていますので、愚生のような「全く呑めないオトコ」に対しては相変わらず一人前扱いは無く、そのくせ、酒席の後片付け(泥酔者のアフターケア、会計処理、そして、「運転手」に至るまで)の便利坊やとしてコキつかわれ、後日、礼を言われることも無く、浴びせられた罵詈雑言に関しては「酔っていたから覚えていない」で片づけられてしまいます。

全ての喫煙者がその喫煙マナーを守っているとは言えませんが、最近では、「分煙」等のモラルがかなり定着してきており、あの昭和時代のように、駅の線路に吸殻が山盛りになるような事態は一切なくなりました。それなのに、前述の通り、「飲酒者」のモラルは昭和時代と全く変わらず愚行と蛮行の区別のつかない傍若無人な「呑兵衛」達が闊歩しております。お酒を美味しく楽しく呑んでいる方々には何も申し上げません・・・むしろ、呑めない愚生の分も楽しんでいただきたい。しかし、酒のせいにして発した「言霊」はそのまま愚生のような「素面の語り部」によって歴史に刻まれていることをどうかお忘れなく。昨夜、とある酒席で大変不愉快な思いをしたので、つい、こんなことを書いてしまいましたが、果たして「飲酒」と「喫煙」のどちらが「社会悪」なのかというと、実はほぼ同等に社会悪なんじゃないかな?という市井の片隅でひっそりと喫煙を続けているマイノリティは考えるのでありました。

  • *-*-*-*-*-*-*-*-

ブログランキングに参戦中。面白かったと思われたらクリックしてください>>>