国家間における歴史観の相違

大東亜戦争終結30年目の米国派遣生として中西部の小さな村の高校にいた頃、彼の国での「米国史」の授業で、「我が合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトは世界の如何なる国家とも戦うことをしない〜不戦宣言〜を全世界に発信したが、その一週間後、東洋の矮小な国家が我が国・真珠湾を卑怯にも不意討ちし、多くの同胞の命が失われた。結果、その報復として『太平洋戦争』が開戦した」といった内容をを、そのクラスに日本からの留学生がいることを知らなかった代用教員(担当の先生が出張中のため)-当時50代だったと思われる--が語りました。当時18歳の愚生は、知識と言語能力の不足から、衝撃的に感じつつも深く理解できていませんでした。覚えているのは、授業が終わってから、クラスメイトの多くが「オレとオマエが戦争したわけじゃないよな」「あの教員、あとでボコってやろうか」等々言ってきたことです。

その後、もっと「それなりの知識」を身につけてからこの時の「事件」を思い返した時に、「学校での歴史教育はその国家の側から見た『歴史観』に過ぎない」「歴史は勝者の理論でいくらでも書き換えられる」ということに気が付きました。それからというもの、「南京で大日本帝国軍が百万人の大虐殺を行った」といったような話に対して、「オマエ、それ、見たんか?」と言ってしまうヒネクレモノとして生きております。当然、「南京」に関しては、その大虐殺が行われたとされる直前の人口が20万人程度、そして、その翌々年頃には25万人を超えたという数値がありますので、そもそも百万人を殺戮することは不可能であり、且つ、数年で流入人口まで発生したということは、よほど平和であったことを物語っておりますので、それが真実では無い事は明白です。

つまりは、どこの国でも勝手に為政者の側に都合の良い「史実の書き換え」が行われているということであります。そして、それは、侵略によりその国家の版図を拡げた者によって書かれたものにすぎないと言えます。我が国でも、原始以来、小さな都市国家的な村と村の抗争が繰り広げられてきたことでしょう。そして、それをほぼ統一し、2千7百年前には天皇家*1が存在するようになってから、「王朝の交代」は行われておりませんが、4千年とか5千年の歴史を有すると豪語される大陸の大国では王朝が交代するたびに、前王朝の墓を暴き、代々の皇帝の遺骨を粉々に砕き、残されている書物を全て消去するという、良心のあるものにとっては愚行以外の何ものでも無いことを繰り返してきました。

21世紀になって、いくらか人類もオリコウサンになってきました。人類が「記録する」という能力を身につけてから数千年が経過し、やっと、その記録することによる契約、合意等が行われ始めています。まだまだその「解釈」に相違が発生し、それが紛争の原因となることもありますが、このまま、良い方向に行けば、人類の未来は明るいはずです。そして、前述の「現地の同級生との会話」の通り、「国家と国家」に確執が存在したとしても、「人と人」に確執が無ければ平和を希求できるんじゃないかな???というのが大事です。それを阻止し、破壊したいのが、世界各地に存在するテロリスト集団であり、それは、様々な形態をとっているのでは・・・イルミ〇ティ、ア〇カイーダ、中華〇民共和国、ニッキョーソ等々・・・愚生、基督教徒ではありませんが、「人と人」の繋がりを大事にし、残された余生を穏やかに過ごしたいと考えております。

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*1:この表現をミギやヒダリのダンナサマはお嫌いになられます。ミギの方は「皇室」を推奨し、ヒダリの方は「天皇制」という本来制度では無いものを説き、こきおろすことに幸せを感じておられるようです。