育児放棄〜〜共犯者は母親でしょ?

ベビーシッターに子供を預けたらその子供が殺されてしまったと言うおぞましい事件が起こりました。容疑者のモッテとかいうヤカラに「もってのほか!」と揶揄するのは不謹慎でありましょうが、実は私、この事件の共犯者は子供を預けた母親であると敢えて物申したいのです。

昭和50年代、私が就職した直後、男女雇用機会均等法なるものが施行されました。大変結構なことです。そして、世の中の先端を行っていると勘違いされている御婦人方が「今まで雄どもが勝手に作り上げた男尊女卑社会を打破する」という壮大な計画のもと、女性の武器は使用しつつ女性の権利を主張し、働く女性こそ善であり、家庭に入り子育てなんぞにうつつを抜かす女性を女性の敵として扱いました。その結果、働く女性のステイタスは専業主婦より高いものではなかろうかと言う妄想が蔓延してしまいました。そして、バカな雄どもは、快楽の為だけに女性が存在すると言う勘違いをしはじめ、やるだけやって子供が出来た後の責任を取らない者が増えました。離婚率が増加し、格好良い「シングルマザー」なる言葉がはやり始めたわけです。この時点で、実は雄どもは「甲斐性ナシ」の無責任であり、それを善しとする御婦人方も所詮は勘違いのオバカさんに過ぎないのですが、それが格好良いとおもわれているのだからしかたありません。

並行してネット社会の発達に伴い、身近な人との「リアル」の付き合いが鬱陶しくなり、全く知らないでいたネット上の「友達」を信じてしまう愚者が激増しました。今回の事件では、何らかの意図があって、「この人に預けたくはない」という人のところに預けられたと言いますが、我が子が可愛ければもっとちゃんと調べた上で預けるべきです。その時間が無かったなどというのは言い訳に過ぎません。

幼少期、当時は珍しい両親共働きの家庭に育ち現代では死語となった「鍵っ子」であった私は、友達の家に遊びに行く度、「ただいま」と母親に声をかける友達の姿に嫉妬しましたし、還暦間近の今日となっても、事あるごとに傘寿を超えた母親との会話に「お母さんの唯一の失敗」としてその話題が挙がります。雄は外に出て狩りをする・雌は村を守り子孫を育む・・・如何に雄が低次元の作業をして雌には崇高なミッションが与えられているか・・・それを真逆にとらえてしまい、低次元なことを雌が求め始めてから少子化という人類の滅亡へのカウントダウンが始まったのです。世の雌どもは、もう一度その崇高な目的を考え直し、世の雄どもはその雌どものために命を賭して平穏を守ることに専心すべし!!と、今更ながら思うのであります。

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