戦没者の慰霊

私の大嫌いなメディアの皆さんは8月15日について概ね「終戦記念日」或いは「終戦の日」という呼称を使用します。この呼称には子供の頃から違和感を覚えておりましたが、昨今、思いついたのは、我が国の国民の知的レベルが劣化し、祝日をバカには理解できるが実際は何の日かわからないようなものに変えていっているのだから、いっそのこと「平和の日」などと呼んだら良いような気がします。私は平和論者ですので、毎年この季節になると「戦争を語る」連中ばかりがのさばり、「平和を語る」ことのできないメディアに辟易しております。

さて、相変わらず大陸や半島の国々では愚考と愚行が蔓延しており、一昨日、靖国神社に参拝した義弟に聞いたところ、半島の国会議員の一団がかなり離れたところで目立たぬように静かに騒いでおり(変な表現ですが)それを半島のメディアが撮影していたとか・・・茶番劇もここまでくれば微笑ましいところですね。そして、「右や左のダンナ様」が旭日旗赤旗を持って騒いでいるとか妙な宗教団体が勧誘行為をしているとか、何やら「お祭り」と化しているのがこの時期の靖国参拝のようです。

大陸の国には天安門広場近くに「人民英雄紀念碑」なるものがあり、抗日遊撃戦における八路軍・新四軍を讃えているそうです。半島の国には靖国神社の五倍の面積を持つ戦没者慰霊墓地があり、それでは手狭だということで、百万坪の「国立大田顕忠院」とかいうものがあるそうです。彼の国々の国家元首やら閣僚やらがこれらの施設を訪問し、哀悼の意を表しているのは明白なのですが、我が国の国民はそれを責めることなど一切しません。そして我が国のメディアでそんなことが報道されたことはありません。我が国の糞蝿メディアは我が国の人間が我が国の戦没者に哀悼の意を表している姿をあたかも犯罪であるかのようにことさらに報道しまくっているだけです。

それぞれの国の慰霊施設に誰が訪問・参拝したか・・・そんなことはどうでも良いことです。冒頭申し上げましたとおり、大事なのは戦争を語るのではなく平和を語ることです。戦争責任???大東亜戦争に関して実際に決断を下すことができた方々は既に鬼籍にあり、戦闘そのものに加わった方々も既に国民の1%以下です。戦没者の犠牲により成り立っている今の平和を語ることは一理ありますが、被害を受けてもいない人間がありもしない責任を追求する愚行がいつまで続くのか・・・いっそのこと、元寇の際の我が国の被害に700年分以上の金利をつけて弁償させるとか、或いは、20世紀前半に我が国が敷いてやった鉄道を全て破棄し、掘ってやった井戸全て埋めるくらいのことをしてしまわないと、野蛮人には理解できないのでしょうかねぇ。

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