棄権と白票の差

本日は第二十三回参議院議員通常選挙(一応、これが正式名称らしい)の投票日です。私は、朝方、投票を済ませてきましたが、もし、本日この記事を読まれ、且つ未だ投票に行っていない方は、今すぐ、投票所へ足をお運びください。議会制民主主義国家の基本として、我々一般の国民が唯一行使できる参政権ですので、それを放棄することは、非国民に他ならない行為です。投票率が下がり、ややもすると50%を切るなどと危惧した報道も流れていますが、これが実は投票行動に対するネガティブキャンペーンであることを愚かなメディア人達は気がついていません。所詮、「普通の人」はメディア報道で「こういう傾向にある」と言われると、そちら方向へ走りたがります。また、「政治なんて関係ない」と「政治家は悪者である」という論調が若者にとって「カッコイイ」ことであるかの如く報道していますので、投票率の低下に拍車をかけています。

昭和50年代後半から60年代にかけて海外駐在員であったり、長期出張をしていた私は、当時「在外投票」の制度が無かったので、かなりな回数、棄権を強いられました。そう、強いられたのです。その後、制度改革が何度か行われ、「不在者投票」も「期日前投票」と名を変え、投票日に遊びに行くからという理由でも投票ができるようになり、長期にわたり家を離れている者も、投票できることになったにもかかわらず、投票率というものは低下の一途をたどっています。つまりは、我が国の国民の多くが愚民と化し議会制民主主義のなんたるかを理解できない人が増加しているということです。

私は、「投票するに足る候補者がいない」と判断した場合でも必ず投票所に足を運び、白票を投じます。そんなくらいなら棄権すれば良いだろうと仰せの方もおられるでしょう。然し、棄権と白票・無効票には大きな差があります。白票・無効票というのは、私同様「投票するに足る候補者がいない」という意思表示ですが、棄権というのは権利放棄に他ならないということです。以前より、「白票・無効票の比率を大きく報道すべし」と申しております。仮に白票・無効票の数が極端に多いなどという現象が起きたら、それはそれで民意に他ならないので、当選して議員になった方もそれを真摯に受け止めての議員活動を強いられますしが、単純に低投票率の中での順位付けで当選してもその民意は伝わりません。

むしろ、白票は立派な「有効票」として計上し、仮に白票が得票1位の候補者を上回ったら、その議席は無効とするくらいのことがあっても良いのではないかと考えてしまうのは暴論なのでしょうか。棄権(投票率の低下)にその価値があると考えている人は単なるモノグサ或いは非国民であることを、メディアはもっと報じ、議会では、「投票奨励法案」でも考えていただき、20歳から60歳までの期間、ある一定比率以上(90%とか)の投票率の方には、年金が1割増しになるなどの「アメ」と、その間一回も投票しなかった方には年金が1割減となる「ムチ」でも用意したら如何でしょうか?

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