絶滅危惧種の中の差別

朱鷺の赤ちゃんが産まれました。それ自体は素直に「良かったね」と申し上げましょう。然しながら、そんなことで大騒ぎをしているメディアの皆さんのなんとお目出度いことか・・・むしろ震災復興の状況であるとか、世界経済の動向であるとか、政局であるとか、それ以前に報道すべきことが多々あるでしょうに・・・

伝え聞いた話ではありますが、この世には確認されているだけで150万種とか200万種の「種」なるものが存在しているそうです。そして、毎年、数万種の新種、亜種等が発見される中、数万種が絶滅しているのだそうです。私がこんな駄文を書いている間にもどこかで一つの種が絶滅の瞬間を迎えているのでしょう。そういう中でのたったひとつの種である朱鷺に関してここまで大事として取り上げているのは一体何故なんでしょう。

人類の歴史の中でも同じことが繰り返されてきていると思われます。織田信長が本能寺で没したという史実は残されていますが、そのときの闘いで何人もの名も無き侍が死んでいっているでしょうし、戦国の時代にはその侍達の戦の中で名も無き庶民の、それこそ「一族」が絶滅していっています。また、東日本大震災でも多くの方々が亡くなり、その中には絶滅した「一族」がたくさん存在しているでしょう。

朱鷺だからここまで騒がれる・・・ニッポニア・ニッポンという学名が為せる業なのでしょうか。では、パンダは如何に?虎は如何に?と考えてみても、たまたまメジャーな「種」であるがゆえに、国家なり行政なりが大金をつぎ込んでその保存に務めようとしているようですが、実は、毎日絶滅している種がたくさんあるのだとしたら、それは自然の成り行きのようなものではないでしょうか。細胞分裂による増殖には「死」というコンセプトが無いのだそうですが、生殖による増殖が行われはじめたときから生物は「死」と隣り合わせになったのだそうです。そしてその死亡率は100%。であるならば、滅びんとしている種を無理矢理保存するのは実は自然の摂理に反することなのではないかと斜に構えて考えた次第です。

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