「絆」押し売りの蔓延〜最早「絆商法」でしかない

昨年は何かと「絆」なる言葉が使われました。「絆」・・・実は家畜の鼻カンに綱を結ぶ方法を「絆結び」といい、家畜の側から見たら「何をしようと切り離すことができない」という一説があります。正直なところ、その真偽は知りませんし、調べようともしていませんが、この言葉がなにやらとてつもなく素晴らしい事のように使われているのには当初から違和感がありました。

確かに人と人との縁は大切です。また、特にこの言葉が使われた東日本大震災の被災地に対する支援も大切です。しかし、支援だとか縁だとかを、家畜の鼻輪のようなものとして、他人に強要するのは如何なものでしょうか。震災直後、「オマエは商売やってるんだから義捐金を出せ!」と県庁のコヤクニンをやっている先輩から当然のように言われ、1万円札を出したところ「なんだ、1万ぽっちか?」と言われました。その方のポケットに入るお金ではなかったと信じたいところですが、これは善意の寄付ではなく偽善の恐喝であったと思います。

そういう事例は山ほどあり、どこそこの企業がいくらの義捐金を出したとか誰某はいついつの売り上げを全額寄付したとか、そして、この人は義捐金を出したことが無いなどという話までクソ蝿の如きメディアがはやしたてた一時期がありました。そんなものは他人に強要するのではなく、自分が身の丈ほどの支援をすればそれで良いと思うのですが、どうにも世間というものは他人の動向が気になるようです。

世間で「復興支援」「絆」の言葉を使っているイベントやバーゲンの類・・・単純計算すれば、その「冠」をつけることにより、仮に100万円の余剰利益があがるとして、そのうちの10万円を寄付しているとしたら相当立派な話である・・・というのが真実であります。そんなことで皆さんのお金を使うのであれば、むしろ被災地へ出かけて行き、土地の食堂でメシを喰い、名産品のひとつでも買ってくることのほうが格段に復興支援になるのが真実です。もう首都圏での復興支援イベントはやめにしましょう。そして、皆で被災地に「遊びに」行きましょう。

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