50年後、100年後

平成生れの長男がもう成人に達する姿を見て、なにやら懐古的な遠い眼で「オレの若い頃は・・・」と感じる年頃になりました。思えば平成時代もほぼ四半世紀、あちこちで使っている言葉ですが、まさに「昭和は遠くなりにけり」です。バブル期に就職した方々が既に中年と呼ばれる年齢に達し、今の若手と呼ばれる方々にはバブルは歴史上の出来事となっております。

会社の経営も国家の指針も「将来を見据えて」といったことが必要になりますが、世界中のどの国や会社を見てもきちんと50年、100年先を見て物事を考えているところは無いというのが私の考え方です。よしんばそれを考えていると言ったところで、実際に50年後、100年後の世の中をはっきりとした形で説明できる人がいるのでしょうか。それは、50年前、100年前を見てみれば良くわかります。

50年前、ボストークという宇宙船で、ガガーリン氏が人類初の宇宙飛行を為し遂げ、大鵬柏戸横綱になった年です。100年前、アムンセン氏が人類初の南極点到達を為し遂げ、未だ第一次世界大戦も始まっていません。その時代の人々から見たら、500人を乗せた飛行機が世界を飛び交い、皆々手に携帯電話を持っている現代など想像できるはずがありません。ということは、50年後、100年後を現代に生きる我々が想像しても所詮は妄想の延長線上でしかないでしょう。とはいえ、50年ほど前、「鉄腕アトム」が2003年に誕生することに設定した漫画家もいるわけで、その妄想から真実は生れてくることも否めません。

今、大陸の大きな国の小学校の教科書には既に「日本国」は存在していないそうです。フォッサマグナを境に西側が「東海省」東側が「倭人自治区」と表記されているそうです。思えば50年前はソビエト連邦による東欧の実質支配が行われ、沖縄は我が国にとってはガイコクでした。それを考えると、実際に、私が今住んでいる埼玉県は50年後に倭人自治区の一部になっているのか、はたまた米国の支配下グアム島のようになっているのか、想像がつきません。ただ、そうなっても、時代の流れで、誰も驚かず、それがその時代の日常として、皆々が生きていく時代になるんだと思うと、少しでもそれを防ぎたいという「愛国者」の血が騒いでしまいます。私が師と仰ぐ嶋中労氏のブログを読み、ふとそんなことを考えてみた次第です。

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