受賞したから偉いのか、偉いから受賞したのか

同窓の先輩が、ナントカ賞(結構権威のある賞らしいのですが、実は初めて耳にした名前の賞でした)を受賞し、そのお祝いの席がありました。数十年に亙って懇意にしていただいており、様々な案件でご指導を仰ぎ、お世話になっていた方なので、末席に加えていただきました。数年前に、何らかの会でその先輩が講演をした際に伺ったことがあったのですが、その席上では、「アイツ、何者だ?」程度の扱いであり、後ろのほうの席で、「もっと有名な人を呼んできてくれればねぇ・・・」などと喋っている連中もいたと記憶しております。

さて、そのお祝いの席、大盛況で、今までその先輩をバカにしていたはずの「それなりの名士」の方々が祝辞を述べておられました。どういうわけか、そういう方々は「長年の親交がある」らしく、また、「昔、面倒をみてやった」方が大多数です。そういえば、10年ほど前、後輩が無謀にも国政選挙に出馬し、絶対的劣勢を跳ね返し、見事代議士になった時も同じ光景を見た記憶があります。「あのバカ、何で選挙なんか出るんだ?」と言っていた方々が代議士になったとたんに「昔から面倒みてやった甲斐があった」と仰っていましたっけ。

受賞の話に戻りますが、この先輩は、30年以上、ごく当たり前に、市民講座で教えてきただけです。ただ、それ以外の著書等による評価で、今回の受賞に至ったようです。私は、その市民講座そのものに興味は抱かなかったものの、著書は全て読んでおり、また、自分の専攻に絡んで、時には同調し、時には対峙しつつ、ご指導いただいていた・・・というより、好き勝手に意見を交わさせていただいておりました。その見識、知識は、「自分よりアタマの良いヤツはこの世にほとんど居ない」と信じている私を以てしても、脱帽する域にあり、ずっと尊敬しておりました。そして、この先輩は常々「オレやオマエは世間には認められない存在なんだよ」と仰っていました。

そして、この先輩、このお祝いの席で、「では、〇〇先生、受賞のご感想を」と司会者に振られ、登壇して曰く「私を肴に酒を飲んでくださる方は大歓迎ですが、単に有名人との親交を求める方とは今後の御交誼はお断りいたします。」といった、皮肉を込めた一文を挨拶の中に入れておりました。散会後、先輩は私に言いました。「野に咲く花は美しいが摘まれて花瓶に飾られたらそれで終わりだよな。幸い、今日は摘まれて飾られた感があったが、根っこは残っているから、大丈夫だよ。」この心がけがある限り、彼は今後とも、「偉い人」でいられるでしょう。受賞したから偉いのではなく、偉いから受賞できたんだと感じられて安心しました。

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