育児放棄

待機児童・・・私には未だに全く理解が出来ない言葉が一般に使われています。どうやら、働きたい親、主に母親と思われますが、自分の子供を預ける場所が足りないという問題らしいです。正直なところ、その詳細には一切興味がありませんので、調べてみたりしたこともありません。

要するに、「働く」というのは、名のある会社に籍を置き、毎朝パリッとした服を着て出勤し、そこで与えられた業務を行う・・・即ち、私のような人種とはかけ離れた世界の方々の用語のようです。確かに、とある上場企業の方と打合せをしていたときに「オタクのようなところとは違う『ちゃんとしたカイシャ』では云々・・・」と言われて、「では、その『ちゃんとしたカイシャ』に発注してください。」と申し上げて、商売をパーにしてしまうようなバカであることは認めます。少なくとも、何人かの従業員に給与を支払い、事務所の家賃を支払い、オカミには税金を納めている立場なんですが、そういうのは「働く」の範疇には世間では入っていないようです。

子供というのは、親の姿を見て育ち、親にいろいろなことを教えられていくはずで、幼稚園というのは、言わば人間が社会性を身につけるためにそれなりの年齢に達した時点でのトレーニングステージの始まりではなかろうかと思います。ところが、今の親御さんは、2歳でも1歳でも・・・果てはゼロ歳児でも大事な子供を赤の他人に預けて「働く」ことをしたいらしいです。

未だ子供が幼稚園の頃、事務所を借りる資金も無かったので、自宅兼事務所で仕事をしておりました。時々、2時になると、幼稚園まで子供を迎えに行きました。そこで、何人かのお母さん達に「お父さんが迎えに来るなんてうらやましいですね。私のところなんか、この子がいるから働きにも行けないんですよ。」などと言われましたが、どうやら、私の家は愚妻も私も働かずして生活しているように思われていたようです。まあ、そこでお迎えに来ているお母さん達はまだ良いけれど、産まれたばかりの子供を預けてまでやらなくてはならない「働く」という行為・・・要するに、子供を育てるという義務を放棄してまでやらなくてはいけない仕事というものは、一体どんなことなのでしょう。私には、単なる育児放棄にしか見えず、更には、子供に対する虐待にしか見えません。