元気と感動の押し売り横行中

なでしこジャパン(これは商標だそうです)の皆様、世界チャンピオンおめでとうございます。私はサッカーが大好きですので、7月18日朝、4時起きして、テレビにかじりつき、祈るように応援しておりました。ひとつひとつのプレイに一喜一憂し、絶対に勝てそうに無い相手に立ち向かっていく、点を取られても取り返すその姿勢に「元気と感動をいただきました。」さて・・・残念ながら、今日のテーマは、先ほどラジオで監督さんが「感動を与えることができた」と仰ったので、その辺を斜に構えて突きます。

私も元アスリートの端くれですので、はっきり申し上げますが、アスリートはバカです。だから、「感動を与えた」などと、本来口が裂けても言ってはいけない「上から目線」の押し売り言葉を使うようになってきています。以前、「応援よろしくお願いします。」といった事に関しても書いたことがありますが、それは、まだ、「お願い」しているのですから、いくらかマシです。何故、最近のアスリートは「感動を与える」などと厚顔無恥な事を言えるようになったかの理由を考えますと、まずは、周りの人の「誉めすぎ」にあります。逆説的に言えば、「貶しすぎ」もありますが、とにかく、誉めすぎるので、バカであるが故、自分が偉くなったと勘違いしてしまうので仕方ありません。

そして、震災・原発・政局の三重苦(今年はこのフレーズを乱用する所存です)の中、不透明な先行きに辟易しているので、本来の「偉い人達」の中にカリスマ性を見られなくなり、ついつい現実逃避の為に、スポーツや芸能にそのヒーロー性を求めてしまう傾向もあります。ですが、「与える」のは、求められてのこと。自分の好きな種目の事ゆえ、なでしこジャパンの皆さんには求めておりましたので、「感動をありがとう」と言えますが、私が全く理解できないゴルフなるスポーツの大選手と呼ばれる方々や、妙な服装で飛んだり跳ねたりして歌っている若者達に「感動を与えた」と言われると反吐が出そうです。もらった覚えは無いが、もし、どうしても与えたと仰るならそのままお返ししたいものです。

そんなわけで、「全国民に感動を与えることができて嬉しいです」なんぞと仮に仰る「ちょっと有名な功績を為した方」(アスリート、芸能人、学者、その他専門家を総称して敢えてこの場ではそう呼んでおきます)に対して申し上げます。「本当に『全国民』が思うのだったら、貴方はこの国の支配者です。ですから、その支配者の権限で『感動しなかったこの私』から国籍を剥奪するなり国外退去を求めるなりしてください。ちなみに私は貴方を支配者として認めていないので、こちらから出て行くことはいたしません。」・・・相変わらず過激な極論でしかありませんが、とにかく、人に対して偉そうに且つ安易に元気やら感動やらは与えられないんだと言うことだけは理解していただきたいものです。

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