パーマネントはやめませう

ここしばらく、震災に関るお話が続きますが、当然のことでしょう。何でもかんでも自粛!自粛!に嫌気が差してきた人が多々おられる中、日本代表対Jリーグ選抜のサッカーの試合は好感度が郄く、被災地の方に勇気を「与えた」なんぞと如何にも上から目線の発言がメディアから発せられている反面、東京ドームで野球をやると6000戸分の電力消費になるから非国民だという論調が成り立っているようです。

私は、野球とサッカーでは紛れも無くサッカー派です。大宮アルディージャの後援会にも入っており、ホームゲームの半分以上を観戦しますが、プロ野球は人生で多分5回くらいしか行ったことがありません。まあ、旧浦和市というサッカーが世間の市民権を得る前から、娯楽がサッカーだけだったところの出身で、現さいたま市は唯一J1チームが2つあるという土地柄ですから当然といえば当然。しかし、このところ、野球はいじめられサッカーはヒーローのような論調には反対ですね。

どこかの球場で試合がしばらく行われないとすると、それに付随して、近隣の商店街、飲食店等は大打撃を受けます。実際に被災した方から見ればたいしたことは無いという発想があっても結構ですが、既に廃業した弁当屋さんもいると聞いております。被災地支援をしたくても、自分の生活ができなくなってしまうのですから、これは立派な「二次災害」です。仮に、遠い親戚が大きな事故に遭遇し、生死の境をさまよっているとして、一族郎党がその病室を取り囲んで一喜一憂しているなどということがありますでしょうか?お見舞いに行くのは当然としても、平素の生活はそれなりに続けているのでは無いでしょうか。そうでなければ、お見舞い金も包めなくなってしまいます。

それなのに、ここへきて、募金だ、ボランティアだ、物資供給だ・・・と、有象無象が走り回り、行政が混乱する基を作っています。誰某はいくら義捐金を出したとか、何処其処の企業がこれだけ救援物資を出したとか・・・それでも誰某は何も出さないとかブラウン管の向こう側でエラそうに語っている評論家先生がおられますが、「あんたはいくら出したの?」と問うてやりたい。大東亜戦争時代の国防婦人会とか愛国婦人会とか称する方々が「欲しがりません勝つまでは」「日本人なら贅沢はできないはずだ」「パーマネントはやめませう」と立派な鉢巻をして叫んでいたというお話に良く似ていますね。結局、自分達は「人のために何かした」という自己満足を得ることで幸せになっているのでしょう。