大相撲バッシング

大相撲7月場所は数日前に始まりましたが、そこへ到るまで、野球賭博問題に端を発し、メディアが反社会的勢力との関係性がどうのこうのと囃したてたためか、賜杯をはじめ、多くの副賞もナシ、懸賞を掛けていた多くの企業が辞退、そして、テレビ中継すらナシ・・・という大変厳しい状況に追い込まれました。メディア越しに聴こえてくる有識者とか解説者という方々のコメントでは、我が国の国技である大相撲の力士が反社会的な行動に出たのは如何なものか?と騒ぎ立てております。

さて・・・「国技」とは一体何を指して言うのでしょう。実は我が国では国技という法的な定義は一切無く、たまたま明治時代に相撲場として建てられたものに、「国技館」と命名したのがその起源のようです。イメージ的には「国家を代表するスポーツ」といったところでしょうが、これは、発祥の地であるという意味合いとは違うでしょう。ところが我が国の人々は勝手に「国技」とイメージを創り上げそれを主に相撲、時として柔道や剣道にあてはめているようです。

そもそも、相撲というのは、紀元前に野見宿禰当麻蹶速が闘ったとか、更に遡り神話の中で天岩戸に隠れた天照大神の興味をそそるために岩戸の前でお祭騒ぎをしたのがその起源であるとか言われているもので、スポーツである以前にショーであったはずです。その相撲をメディアに煽動された民衆は、「神聖なる儀式」と定義付けた上で、「スポーツ=闘いである」という相反する無理を強いているのです。神事であるなら外国人力士はもとより、「神道」のみを信ずる者以外は力士になる資格は無いはずですのが、その曖昧な「神聖なる儀式」の足枷だけが残されているという気の毒な状況です。

また、有識者様達は、賭博云々と騒ぎ立てていますが、確かに、反社会的組織に金が流れる問題点はあるとはいえ、小さな賭け事は日常で行われていることではないのでしょうか?まさか、今までの人生でメシ1回や、ジュース1本を賭ける程度のことすらやったことが無いと断言できるのでしょうか?とはいえ、程度問題は否めません。確かに今回話題になっている賭博行為は、金額面、そして反社会的勢力への金銭供与ということだけは正すべきでしょうが、むしろ、日本中に点在するパチンコなる北朝鮮の貯金箱で行われている賭博行為を容認している方がよほど不健全であることに気がつくべきではなかろうかと考えてしまいます。