陳腐な「政権交代」という言葉

昨年夏、福田総理が急にその職を辞し、麻生政権が誕生しました。まだ1年も経過していないのですが、イメージとしては、随分昔のことに感じられます。メディアはこぞって、「即座に解散総選挙民主党勝利〜政権交代」という図式を描き、9月には総選挙に備えるべく新規に事務所を借りたり資金管理パーティを開いたりする予定候補者が続出しました。のらりくらりの戦術なのか・・・麻生総理は今にも解散総選挙と言い出しそうな雰囲気を醸しつつ、今日まで来ましたが、その間、メディアは「来月こそ総選挙!」「もうすぐ総選挙!」と叫び続け、それに拍車をかけるように、ブラウン管への露出度と所得が増えそうな評論家の大先生方が「解散総選挙をすべき」「国民に信を問うべき」と、自分の利得のために咆えまくっておりました。

気がつけば6月、衆議院の任期そのものが残り3ヶ月となりました。国会の会期延長に伴い、この調子だと、8月以降の総選挙となるのは確実です。ここまで来てしまえば、メディアは報道ネタ拾いをしなくても自動的に選挙モードになっていきますので、「それでも結構」といった報道に切り替わっております。しかし・・・何かにつけ、彼等の発言には「政権交代」という言葉が付きまといます。果たして、この言葉には、どういう意味があるのか・・・と少々考えてみました。

政権が交代するというのは、我が国の戦後においては、新進党の件があったときくらいのものです。我が国においては、二大政党などというものは存在せず、日本共産党という筋の通った反政府組織と、社民党という存在価値の無い政党以外は、概ね中道、あるいは事なかれ主義の政党しかなく、政策にしても使用する単語を替えているだけで、内容に大きな違いはありません。たまたま自民党が与党側にいて、民主党が野党側にいるだけに過ぎず、これが入れ替わったところで、単語の入れ替えに過ぎないことが起こるはずです。つまり、「白」というか「ホワイト」というかの違い程度の変化しか期待できません。

・・・とこういう表現をすると、「つまりは、どこが政権を取っても暮らしは良くならないのか」というご意見が出てくるでしょうが、実はそうではないのです。一部の評論家大先生が自分の所得を増やすために常に「今はダメなんだ!」と言いつづけ、判官贔屓の我が国の国民を「じゃあ、劣勢の方へ加担しようではないか」と思い込ませているだけで、既に、暮らしは良い状態にあるのです。さて・・・やがて来る総選挙で、本当に民主党というのが政権を取るのか、自民党議席を守りきるのかは定かではありませんが、仮にメディアの言う「政権交代」が行われた後、「暮らしが格段に良くなった」と思われる方がいたら・・・それは、政治の為せる業ではなく、ご自分を取り巻く環境が「たまたま」良くなったのか、ご自分でそれなりの努力をされたかのいずれかでしか無いということを今から申し上げておきましょう。