裁判員制度-平成の赤紙

もうすぐ裁判員制度が実施されます。既に手許にその通知〜私はこれを「平成の赤紙」と呼んでいますが〜を受け取った方がおられ、その制度の実態を知らずして名誉に思ったり迷惑に感じたりそれぞれがそれぞれの対応をしていることでしょう。単純計算すると、人生で裁判員として選ばれたという通知を受け取る確率は13人に1人という程度のものだそうですので、実質的には大多数の人には関係のない世界のようですが、果たしてこの制度は、本当に正しい制度なのでしょうか。私は「平成の赤紙」と呼んでいるくらいですから、反対派〜それも、「絶対反対」の立場です。

メディアの論調で言うと、司法関係者というのは非常識で、市井に生きる一般人とは全く違った価値観を持っているとのことです。そのような非常識な判事が下す判決は間違っていることが多く、冤罪やら不必要な量刑がまかり通っていると言いたげです。そういう中で、ごく一般的な市民が裁判員として裁判に参加し、判決に関与すれば、市民感覚とかけ離れたことにはならないだろうというのですが、さて・・・私たち一般人は法律に関する知識も乏しく、「血も涙も無い司法関係者」と違い、感情的な判断をしてしまうのではないでしょうか。仮にとてつもなく「良い人」に見える被告が殺人者で、原告側にはどう見てもワルに見える人が、その家族を殺されたことに対することを訴えていた場合と、その逆の場合、全く同じ判決をだせるのでしょうか。

人間とは弱い生き物ですので、仮にまったく関係ないことで憤りを覚えているところへ、目の前に、何らかの罪を犯した人がいたとしたら、「無条件で死刑」などと言い出しかねません。この原因となるのが夫婦喧嘩であったり、上司の不条理な説教であったりする場合もありますので、そんな理由で「死刑」なんぞと言われてしまっては、いくら犯罪者でもたまったものではありますまい。特に、会社組織などでは、「裁判員として出廷します」という錦の御旗をかざされた上司なり同僚なりがくだらない誹謗中傷をもって接することなどいくらでもあると思います。

この制度の根本的な間違いと思うことは、法律の素人が重要な法的判断を下すところにあるというのが私の一番危惧しているところです。ひとつの犯罪に対して、どの程度の刑が妥当かなどということは素人に判断できるわけがありません。詭弁を承知で言うなら、この先医師の不足を補うということで「医療員制度」などというものができたとして、選ばれた人は素人なのに手術をしなくてはならないとか、警察官の不足を補うということで「警察員制度」などというものができ、素人が拳銃を携え犯罪防止に臨むなどということすら起こっても不思議は無いのではないかと思うと、つくづくこの素人に赤の他人の運命を決めさせる制度には絶対反対であるということを声を大にして言いたいものです。