働かざる者大いに喰らう21世紀

後期高齢者の保険料が「老人いじめ」などと報道されています。ただでさえ生活への不安がつのる中、更に搾取されるというイメージですから、該当する世代、そして、これからその世代に入っていく方々には深刻な問題であるのは当然でしょう。メディアと破壊主義者の似非共産主義者の論調は相変わらず、結局は政治の責任であるということにたどり着きますが、さて、本当にそれだけの問題でしょうか?

私は30年前から年金制度というのは国家ぐるみのマルチ商法であるという理論を振りかざし、ヒトデナシとかキチガイとかのレッテルを貼られてきましたが、未だに世の中の大半は私のような人間を認めていません。昨今では、少しばかり理解され始めていると感じますが、結局、人間というものは利己主義で成り立っているので、我が身に振りかかかる話となると別の様子です。結局は人道などというぼかした表現の下、老人を大切にしない者はヒトデナシでしょうからそれも仕方ありますまい。

しかし、この社会保障制度等を見ていくと、本当は恐ろしい現実が潜んでいます。現在、年金受給者の50%以上が年間300万円以上の年金収入があるそうです。特に共済年金加入者であった元公務員の方々におかれましては、ほぼ全てがこの中に含まれます。年収300万といえば、ネットカフェ難民は無論、フリーター、パートの方々にはなかなか到達できない金額です。しかもその方々は年間2000時間以上の労働をしているのに、全く労働しない年金受給者がそれ以上の所得があるという矛盾がこの社会での正論となっています。

例によって年金受給者の方々は「俺達はその分積んできた」と仰せでしょうが、実際はどうなのでしょうか。仮に「体感金額」と名づけ、今の物価で計算してみると現在80歳の元公務員一般職は生涯で支払った年金額が概ね2千万円、そして、今までに受け取った年金額が概ね5千万円となります。そういう人がもっと寄越せと言うこと自体、理不尽ではないのか?などと言うメディア人は一人もいません。「高齢者に死ねと言うのか?」という疑問があがっていますが、年間300万以上の年金を貪っている糞虫老人はこの際死んでくれたほうが世のため人のためです。爪に灯を燈し、細々と暮らしている方々にはそのようなことは申し上げませんが、全く生産性の無い存在で居ながら高級な住宅に暮らしているその半数以上の後期高齢者の方々は、実は残りの弱者である老人、我が国の未来を背負って立つべき若者、更には、志半ばにして、「投資額」に至らぬ年金を受け取ったか、受け取る前にこの世を去った同朋の生血をすすっている高額年金生活者は、今すぐにでもその余剰所得を何らかの社会福祉に寄付すべきではないのかと思うのですが、どうやら、そういう方々は往々にして「人の心」を持ち合わせていないようですし、メディアや似非共産主義者も同様ですから、結局は暴言か詭弁かで片付けられてしまうのも悲しい現実です。