古紙配合率報道に見る環境問題の矛盾

いくつかの製紙会社で古紙の配合率が違っていたと喧しく一部のメディアが訴えております。昨年を表す漢字一文字(これも私は疑問を感じている報道ですが)が「偽」であったということをうけて、何らかの偽称があるとそれはそれでメディアの方々には楽しくて仕方がない材料なのでしょう。それにしても、ここまで騒がなくても良いのではないか・・・と考えました。

賞味期限がどうのこうのという問題も昨年の話題でしたが、私にはさほど大きな問題では無いと考えます。確かに腐ったものを食すれば健康を害するということで、それなりに実害に繋がる危険性があります。とはいえ、妙な立法の積み重ねで不必要なまでに賞味期限なるものを設定し、本来食べられるものを捨てなくてはいけないというのはある意味「もったいない」という運動に反するでしょう。また、豚肉を牛肉と偽って売った場合は・・・これは、実は留学生団体の役員を務めている立場から申せば、イスラム教徒には大変な問題になるというところで、それなりに問題があろうと考えます。ただし、牛肉風味の豚肉であればなんら問題は無いのではないかと考えてしまいます。

と、これらの事例の場合、少なからず、偽装による問題点が存在するので、本当はその辺を突付いてみたかったけれども、とりあえずやめておいた話ですが、古紙配合率の問題に関して言えば、どこに問題があるのか私の拙い知識ではさっぱりわかりません。環境問題がどうのこうのと仰る方がおられますが、これは実はレトリックの魔術で、無駄遣いされている資源の中では実に微々たる量であるとのことです。環境問題を語るフォーラムに運転手付の車で出かける「大先生」は不必要なまでに暖冷房のきいた部屋で生活しており、そのフォーラムで大量に資料を配布しております。つまり、車両の使用による石油資源を使い、空気を汚染させ、空調でこれまた同様に温暖化に「貢献」し、更に、配布する資料の紙を「無駄遣い」しているわけです。

古紙再生による環境問題への貢献はどの程度あるのか?ということを製紙会社に勤めている人に聞いたことがありますが、実は、通常の紙を作るより工数が多く、それなりの石油製品、電気を余計に使っているとのことです。つまりは、ゼロサムなのか?と問うと、概ねそのようなものだとの答えが返ってきました。ということは、古紙を使ったところで、環境問題に貢献したとは言えないということです。このテーマはあくまでも小さな例でしかありませんが、問題だ!問題だ!と叫んでいる方々に申し上げたいのは「では、その古紙配合率が違ったことでどのような実害が出るのですか?」ということです。むしろ、余計な資料を片面印刷で大量に配布している役所などが糾弾されるべきではないのでしょうか。「経費削減」のためにできる限り裏紙を使用している零細企業経営者としては古紙含有率の表示がどうこうということなどどうでも良いことなのです。