人を憎んで罪を憎まず

「罪を憎んで人を憎まず」という言い回しが死語となってしまったような気がします。何かがおこるとメディアは原因究明やら善後策やらを取り沙汰する前に責任の所在を問い、まずは犯人探しから−−そして、犯人さえ特定できればその案件は終了となり、報道されなくなります。結果、その何かがおこったことで被害を被った方も報われず、何の改善も為されぬまま事態は放置されているといった図式が横行しています。

昨今ではブラウン管の中で大企業や行政の偉い方々が深深と頭を下げ「申し訳ありませんでした」と言っている姿が良く報道されます。私の感覚では、ここまででメディアの仕事は終りとなっているように見えます。つまり、誰かを謝らせれば事態は収拾したという見解なのでしょう。ちょっと前まではその偉い方々を誉め、煽て、コバンザメのようにつきまとっていた人達がそこから離れていくだけならまだしも、「元従業員」などというのがモザイク付で画面に登場し「私の在職中も云々」としたり顔で(モザイクのためどのような表情か見えるわけではありませんが)語っている姿もこれまた世間の共感を得るようです。

そもそも「罪を憎んで人を憎まず」と考えられたのはいつ頃までなのでしょうか?実はそんな言い回しがあるにもかかわらず、所詮、人というものは「人を憎んで罪を憎まず」といった行動様式をとっていたのではないでしょうか。「とにかく虫が好かん」とか「あいつだけは許せない」とかいった考え方は昭和時代であっても強くはびこっていたと思いますし、結局は「悪いヤツ」が責任をとればそれまでで良かったような気がします。

そういう意味で、メディアがまるで警察レベルの「捜査」をしたり「尋問」をしたりしつつ、犯人探しに奔走し、結果「犯人」さえみつかれば私達一般人が納得するという図式が完璧に定着したようです。これを私の仲間が「これにて一見落着」と表現していたのは実に的を射たところであったと片頬笑いを浮かべつつ、私も犯人探しさえ終れば「結構、結構」と言ってしまうのだな・・・と悲しい気持ちになります。