21世紀の「飲む・打つ・買う」

若い人と話をしていて「飲む・打つ・買うの三拍子」という表現をしたところ、どうやら今日では死語になってしまったようですが、私の青春時代、即ち昭和40年代から50年代においては男の浪漫とでもいったイメージがありました。むしろ私の親の世代、つまり旧制高校の方々が好んで使ったものであろうと思われますが、男たるもの一升・二升の酒をあおり、博打には身上を掛け、女郎買いは美徳であると豪語していた人々がいたものです。

21世紀になり、我が国ではそのような発言を公式の場でしてしまうのは石原都知事くらいしかおらず、むしろ顰蹙を買う時代がやってきたようです。酒席には進んで参加することもせず、麻雀などはもってのほか、そして、勘違いした女性人権団体のような方々の目が怖くて女郎買いなどという言葉は使うだけでも許されないようです。まあ、こういう蛮行を美徳と感じていた事自体がアナクロニズムに過ぎないと言ってしまえばそれまでですが、今や表社会からは抹殺されつつあります。

ただ、酒を呑んで騒ぐという行為はやはりなくなりませんし、麻雀は一時より廃れたとは言えパチンコやら競馬やらは一時より格段に市民権を得た博打であります。ましてや、表向き売春という行為が許されない中、街のそこここでその行為を「販売」している人の数は多分昭和末期より格段に増えているでしょう。やはり、この「飲む・打つ・買う」は愚かなる男の浪漫として未来永劫続くものなのでしょうか。

とはいえ、今世紀になり、コミュニケーションが極端に欠落している人種が増加するにあたって、むしろ「飲む・打つ・買う」の主流が変わってきたような気がします。まあ、「飲む」に関しては酒が主流なのでしょうが、サプリメントとか称する補助食品があっと言う間に世間に広まりました。そして、パソコンに向かい、馬券を買うという行動様式が広まり、更には株式という更にきれい事の博打も横行しており、それに手を染める若者が日々増加しています。「買う」のはいつの間にやら昔の女郎屋からやけにバーチャルな世界での「萌え〜」という世界で、「右手が恋人」といった男が増えつつあり・・・このまま行けば人類が滅びるのはそう遠くはないでしょうが、そんなにすぐでもないでしょうから、21世紀型になりつつある私としては「オレの生きているうちではないからいいや」で片付けることにいたします。