路上禁煙条例

私の住むさいたま市ではこの6月1日から路上での喫煙を禁止する条例が施行されました。喫煙者である私に対し、周りの人達が「大変ですね」と気遣ってくださるようになりましたが、元々喫煙は喫煙所でするものだという考え方を持っていますので、私の喫煙人生(?)にはさしたる問題は発生しておりません。この数年で喫煙者のかたみが狭くなったこと自体は否定できないところではありますが。

20年ほど前、東南アジアのどこぞの国で水洗便所の水を流さないと罰金であるとかガムを路上に吐き捨てると罰金であるとかの法律があると聞きました。水洗便所使用後、水を流さないなどというのは当時の日本人としても考えられない話でしたので半ば笑い話であったと記憶しております。つまり、そういうことを法制化しないとマナーが守れないというモラルハザードの見地からそういった法律が作られていくのだということです。

我が国でそのモラルハザードが取り沙汰されるようになったのはせいぜいここ数年のこと。言葉は格好良いとは思いますが、実は「イマドキのワカいモンは・・・」の延長線上にある発想なのでしょう。確かに約半世紀を生きてきた私にもその考え方に賛同できる部分は多々ありますが、結局のところ、「だから何だ?」という疑問符もつけたくなるのはヘソマガリのヘソマガリたる所以です。要するに、私が子供の頃のニッポンのお父さんというものは、ステテコにランニングシャツで煙草をくわえて散歩していて、所構わず吸殻を捨て、痰を吐き捨てていたではありませんか。

ただ、そういったニッポンのお父さんは「良くない」という意識もそれなりに働いていて、少しづつ人々がモラルを気にするようになってきていたことも事実です。それまで気がつかなかったモラルというかマナーというかを「イマドキのオトナ」が気がついてしまったことが昨今の行き過ぎたルール作りに繁栄されておりますし、また、そもそも路上で煙草なんぞを吸うという簡単なマナーを失っている人が後を絶たないから結局法律なり条例なりで縛らざるを得ないというのが現実なのでしょう。つまり、気がつかなければいつまででも「当り前」の行為として路上喫煙が行なわれていたわけで・・・実はそういった気がつかない事柄が数え切れないほどあるのでしょうが、「それに気がつかないから問題になっていないだけだ」ということを討論してみるのもこれまた大事ではないでしょうか。