何があっても人災であり天災は存在しない

今日もまた我が国のどこかで事故が起こっています。小さなものから大きなものまで交通事故は後を絶ちませんが、それ以外にも全ての業種において工場での事故、商取引上の事故、更にいろいろな手続き上の事故が発生しているはずです。そしてそのなかの「面白い」ものを選んでメディアが報じます。

大きな地震や台風の場合、当事者にはお気の毒ですが、不可抗力のように家が倒壊したり道路が寸断されたり水道、電気等のライフライン(和製英語?)が確保できず、結果命を落す人や自分の家を失う人がでてきます。その度に耳にするのが「これは人災であった」という高見の見物をしているコメンテーターなる人種で、本来助かるはずの人が命を落としたと騒ぎ立てます。

警察がなんとかしていてくれればとかいう話も後を絶ちません。殺人を犯す人物がいたのならそれを警察がしっかりマークしていれば良かったのにその業務を怠ったとばかりにメディアはまくし立てます。実際の被害者の方、その近辺におられる方ならまだしも、全く関係の無いところで「警察が悪い」と言いたがる人がそこここに存在しています。一体どうしてそういう発想なのかわかりませんが、警察なり行政なり政治家なりがちゃんとしていれば殺人事件も地震も台風も起こらないとでも言い出し兼ねない勢いです。

確かに救助にせよ医療過誤にせよストーカー事件にせよその予防にあたるべき人はいますが、それが全てではなく、起こってしまった事件は結局起こってしまったので防ぎようが無かったとしか言えないのではないでしょうか。当事者の方はどのような怒り方をしても結構ですが、関係の無い者がその「責任の所在」とやらを誰かに押し付け、全てを「人災」として作り上げたがるのはいかがなものか?と感じざるを得ません。少なくとも「天災」は「天災」としてとらえ、無関係なものは哀悼の意を表するに留めるべきです。