お祭りの目的

お祭り真っ盛りの季節です。私の仕事場から大宮駅へ出る途中、武蔵の国一の宮、俗称大宮氷川神社の参道を横切るのですが、毎年8月1日、2日、そして12月10日は例大祭、大湯祭のため、人間の渋滞が発生し、いつもなら10分そこそこで行けるものが20分以上かかり、ましてや自動車の渋滞といったらとんでもないものになります。

この地に住んで15年、しかし、その前は当時の旧浦和市域に住んでいましたから約50年この近くに棲息しておりますが、実はこのお祭りは何を祀るものなのか知りません。調べれば良いのでしょうが、特に調べたいとも思わないので毎回「ああ、今年もお祭りの季節だ」と思うに留まっております。何故か少年時代よりこのお祭りというものに心躍ることもなく、かといって否定するわけでもない人生を送ってきたので、これを非国民とか罰当たりと思われる方には理解できないでしょうが、あくまでもその程度の感じ方です。

さて、お祭り、お神輿、盆踊り・・・これらの発生した理由は一体なんだろうとふと気になり、少しばかり物の本でも読んだことが学生時代にありました。「祭」は「政」に通じるものであるとか、ご先祖様を敬う気持ちがどうこうとか、いろいろなことが書かれていましたが、私はその中で、実は日本の祭は農業国としての行事で、即ちお神輿を担いで練り歩くことや盆踊りをすることにより、畦道を踏み固め、悪い虫を追い払うという実用的な目的であるという記述に惹かれたことを思い出します。

それが全てではないでしょうが、今の時代、皆さんがお祭りと称してやっていることには何の目的があるのかと考えると不思議なものがあります。純粋に楽しめば良いというこたえもあるかもしれませんが、本来の宗教行事として考えるなら楽しむだけではなく、厳粛な儀式の部分があって然るべきで、その部分を忘れてただ酒を呑み騒ぎまくるだけの人々を見ているとむしろ彼等のほうが罰当たりに見えて仕方がありません。日頃、やりたくもない仕事をして、鬱積したものを吐き出すためのことであるなら、それはそれで結構ですが、それならば普段から世の為人の為を考えつつ、日々を楽しく過ごしていれば祭りの夜に暴れて警察の世話になることもありますまい。私はそのように日々を送っているのできっとそれが周りの連中に「お祭り好きでしょ?」と言われてしまう理由なのかもしれません。