誰も彼もが日本一

ゆとり教育は間違いであったと酷評する人たちが多くおられますが、私は決して全面否定はいたしません。単純に詰め込み式丸暗記を推奨した私の少年時代よりよほど人間味があってよろしいのではないかと感じております。ただ、運動会などで順位をつけずに手を繋いで一緒にゴールインなどという例を見るとなんとも愚行であると思えてなりません。

ただ、音楽の世界では何故かその「お手々つないでゴールイン」式のことは昔から行なわれ今でも続いているようです。単に宣伝の表現が舌足らずで且つ言葉の優位性を求めるためにより大袈裟になってきているからというのが最大の理由でしょう。未だ嘗て無いものや今世紀最高のものがそこここに存在しています。

数値ではっきりと判断できるものであれば順位付けは比較的簡単にできますが、音楽の評価はそこまで簡単ではありません。譜面通りに楽器を演奏し、それを減点法で審査すればそれはそれで可能でしょうが、それならば精巧なロボットを作ればどの音楽家よりも巧いということになってしまいます。上手・下手の判断はそういった基準で為すとしても、やはりその中での感情移入、表現力等、方程式にできない何かも存在していますし、更には聴く側の好き嫌いまでがその要素として入ってしまうのですから、完璧なまでに評価や順位をつけることは不可能なのでしょう。

音楽の大会では「金賞」が何件も出るような評価をしている理由はそこにあるのであろうと好意的な判断はできます。しかし、やはりどうしても「はっきりとした優劣」をあまり見せない業界であるが故か・・・たかがそこらの音大を出て趣味の延長線上にいるといった程度の音楽家が世界のトップランクと同じくらい偉いような気になって物言いをするのはどうしても面白くありません。そこらの草野球チームの監督がプロ野球の監督を批判している姿も見られますが、それはそれで実はプロに対する敬意を含んでの場合がほとんどなのに、音楽の場合は「一流半」より下の人は総じて一流をこきおろすのが好きなように見えて仕方がありません。