愛国心教育

学校のカリキュラムに愛国心教育なるものが取り入れられるそうです。私は自称愛国者ですので、これを歓迎しているだろうと行く先々で言われておりますが、実は大間違いで、何故そのようなことが学校のカリキュラムに入るのかに対して大きな疑問を抱いております。ですから、この件に関しては、所詮ごまめの歯軋りであろうとも、存在価値の薄い社民・共産両党に部分的にですが同調いたします。

愛国心を持つこと・・・これは必要であるとか大事だとか言う前に当然のことです。私は愛国心を持たぬ人とはトモダチにはなれないと常々思っております。自らが暮らしている国を否定したいのなら進むべき道は限られていて、そこから出て行くかそこを変えるかしかありません。否定しながらその中にいるというのは大きな矛盾であり、本気で「我が国は最低の国家であり滅びてしまえばよい」と考えているのであれば、そこで暮らすことはこの上ない苦痛と屈辱を伴うでしょう。ですから、そういう方は−今風の若者表現ではなく、本気のところで−「死ねば良い」と思います。

さて、では何故愛国心教育に反対なのか・・・つまり、愛国心というコンセプトは方程式や漢字書き取りのように学んで覚えるものではなく、挨拶や公共心、もっと言えば本能的な行動に近いものであるからです。格好をつけて反日を唱えたり愛国者を悪し様に言っている方々でも多少なりともその愛国心を身に付けていて、実はオリンピックで日の丸が揚がれば嬉しいという感情を持つのです。そういう似非反日に敢えて問うてみたいのは「貴方は自分の家族を殺したいほど憎んでいますか?」ということで、もし答えがYESならそういう方々には今にでも死んで頂きたい。NOであれば僅かでも愛国心をお持ちだという証拠ですからそのまま頑張りましょう。

正しい愛国心とは家族を愛し身近な隣人を愛し、コミュニティを愛し、その延長線上にある国家を愛することなのです。そして更にその先には「地球市民」として60億の同朋を愛せる心の広さが必要なのです。さあ、家族を愛せぬ出来の悪いキョーインが如何に「愛国心教育」を為すのか・・ワクワクしながら高見の見物をさせていただきましょう。