一人称の変遷

その昔、一人称が「それがし」であったかどうかはその時代に生きていたわけではないのでわかりません。しかし、少なくとも私が子供の頃から一人称は俺、僕、私、おいら等々、多岐にわたっていたと記憶しております。よく英語を学ぶときに壁にぶつかっている中学生、高校生に対し、「英語の一人称は"I"しかないが日本語の一人称はたくさんある。だから英語は簡単なんだ。」などという「呪文」を投げかけてやると、不思議とこれが効いたりするものでした。

当然、地方によって一人称が違うのも我が国の特色であり、これが豊かな語彙力と文化を誇れる理由であろうと私は考えます。しかし、その一人称も時代と共に変化し、どことなく統合されていくような気もしないでもないといったところも否めません。我が国の国民は元々あった語彙力が低下しつつあり、日常で使用する単語の数が減少していることをも象徴しているところでしょうか。

最近気になるのは小学生、中学生の一人称です。エエカッコシィの姿なのでしょうが、何故か女子の一人称が「オレ」になりつつあります。また、いつの間にやら関西弁に毒され(敢えてこの表現を使いますが)「ウチ」と言う子供たちも急増しています。学生時代に言語同心円説を研究していた立場として、「なるほど、関西の言葉がここまで伝播してきたか。」という話ではないような気もします。

まあ、「ウチ」は良いのですが、何故、可愛い女の子が「オレ」と言うのか・・・これは実は女性の男性化、そして男性の女性化に伴う何かが形になっていく過程なのではないかと感じております。これまた私の勝手な思い込みというか、反「男女共同参画バカ」の考え方からなのか・・・オトコとオンナはそこまで同化しなくても良いのに、こうやって画一化が進み、人類が蝸牛のような雌雄同体になる日*1が数万年後にやってくるのかも知れません・・・という夏の夜の悪夢でした。

*1:とある男女共同参画カルト団体のマークは何故か蝸牛だそうです