やらせる人とやらせられる人

サラリーマン時代にそれなりの老舗の会社の二代目で、修業の為に私と同じ会社に勤務していた先輩が先代の後を継ぐため退職することになりました。彼は寂しそうに「世の中には『使う人』と『使われる人』しかいない。俺は後者であるのに前者にならなくてはならない。」とつぶやいていました。その頃は何を勝手なことを・・・結局はカネモチのボッチャマだから・・・等とやっかみで思っていましたが、実際に世の中はその2種類の人間しかいないことは時間をかけて悟ったような気がしています。

ところが別の分類方法によると、世の中には「やらせる人」と「自らやる人」がいて、しかも「できる人」と「できない人」にも分かれていることも併せて見えてきました。そして、「使われる人」の多くは「やらせる人」且つ「できない人」であり、更に実は「やらせた人」になりたがります。なんともわかりにくい表現方法ですが、少なくとも私の見る限りはそうであるので仕方ありますまい。

サラリーマンの社会では「手柄」が大事です。仮に誰かが大きな手柄を立てると、その上司にあたる人が「あれは私が指示を出して云々」と言う場合が殆どです。実際、私がサラリーマン時代、提案書を出した時点でバカ呼ばわりした当時の上司がそのプロジェクトが成功したときに役員会に「私が彼に特命を与えたのが実を結びました。」と報告したという経験があります。

そういったカイシャなるものが馬鹿馬鹿しかったため、自らの器を知らずして起業し、今私は「使う人」の立場になっています。ただ、私が自信を持っているのはそのほかの要因を見たときに「使う人」にありがちな「やらせる人」にはならず、「自らやる人」たらんとしております。サラリーマン時代、出世のためには実は「やらせた人」でいて「やらせる人」を演じるのが近道であったと見えましたが、「自らやる」のは自主性の顕れで、「やらせる人」はあくまでも他力本願でしかありません。リーダーたるもの面と向かって指示をせず、常に信頼できる配下のものに背中を見せていなくてはならんというのが私の進む道であります。