アスベストは偉かった

全国各地の建造物でアスベストが使用されているため、その近隣住民は死と隣り合わせの恐怖を味わっているそうです。昭和時代に建てられた公共施設の多くはこのアスベストと言うものが幅を利かせており、何故そんなものを使ってしまったのか、そして、何故それを許したのかというところが争点のようです。

昭和40年代初期、小学校の理科の授業で「石綿」なるものが使われました。先生は「この石綿を使っているものでは消防士さんの服などがあります。火や熱を通さないので消防士さん達は安全に火を消すお仕事ができます。」と仰っていました。そして建物にも防火という観点から使用されていること、私の通った小学校も石綿を使用しているから火事になっても簡単には燃えあがらないことなどを教わった記憶があります。

石綿」の別名がアスベストであることは大分前に知っていましたが、その素晴らしい自然の産物であり、人類を助ける存在であったアスベストが実は悪の権化であったことを知ったのはつい数年前のことです。その頃から世間ではアスベストと言う極悪の象徴を忌み嫌い、遠ざけるようになったようです。そして、そんな危険なものを野放しにしていたのは当然「政治が悪い」からだそうで、あちこちでこぶしを振り上げている人々が日々増えているようです。

さて・・・30年先には今度はどのような「昔ヒーロー今極悪人」の素材がでてくるのでしょうか。周りを見渡すだけでも、人類の役に立っていながらそろそろ悪者扱いされはじめているものだらけです。水銀、亜鉛、鉛、化石燃料・・・気がつけば日々の食品も敵視されるものが増え続けています。実はこの地球を好き勝手に壊しまくった人類に対し、いよいよ自然が復習を始めたのではないかなどと言うと怪しげな宗教の教祖のようで、これまた楽しい・・・と言いつつ、せめてお世話になったアスベストのご冥福を祈りたい日々です。