誰の為に働くか

二十数年前、上場企業といわれるそれなりの大企業に勤務しておりました。その際、ユニオンショップであるその会社では入社と同時に組合員となり、数年後、貧乏籤というか、持ち回りのようなかたちで労働組合の職場委員という組合員百人をまとめる立場となり、当時の同盟系の研修会に出席したことを最近思い出しました。

研修中、自由課題での討論があったので、私は「A君はその日の必要作業を3時に終え、定時の5時半まで商品研究をしました。B君はその日の必要作業を定時の5時半に終えました。C君はその日の必要作業が定時に終了しなかったので8時まで残業しました。さて、この3人で会社に一番貢献しているのは誰でしょうか?」という問題を提起してみました。

あの頃から二十年以上が経過し、人々の考え方もいくらか良くなっているとは思いますが、恐ろしいことに、あのとき、同じグループにいた約20人全員が「C君」という回答を出しました。そしてA君はロクデナシであり、即刻クビにしても良い人種であるという結論でした。仮にA君がC君の手伝いをしたなら「まだ許せる」という意見もありました。

私が常々不思議に思うゲッキュウトリという人種の思考回路ではこの中で誰の貢献度が一番高いのでしょう。仮に自己研鑽という目的で商品研究をしたとしても、後日企業に利益をもたらす可能性は大きいと見て私の場合は絶対にA君が最大の貢献をしていると考えます。そして、C君は、他の二人が時間内に終了できる作業を終えることが出来ない、即ち無能であると判断します。仮に残業手当等が支給されないとしても、会社は不要な電気代等の諸掛、そして設備の減価償却等の損失を被るわけですし、当時の考え方では残業手当というものは当然のように支給されたと思います。そんな考え方を当時していたが故、組織にそぐわず独立したのであろうかと考えると、「辞めて良かった」としみじみ感じてしまいます。