反対することが存在価値である政党の扱い方へのヒント

政治に対する報道はいつでも「ネタになること」が優先されるので、国会が紛糾したときこそ出番です。お隣の共産主義のなれの果てである国家のように澱んだ微温湯となってしまうと、「本日も一日我等が指導者の下、平穏な一日でした。」というのが最高のニュースなんでしょうが、人々が常に刺激を求めている我が国では通用しないようです。

楽しいのは与党と野党の喧嘩であり、乱闘騒ぎにでもなれば脳味噌がほとんど空っぽのくせに議員バッヂをつけているようなバカにスポットライトがあてられ、あたかも正義の為に闘っているようなコメントがつきますし、とにかく与党という存在が提案したことに「反対」と言いさえすればなにやら格好良いような錯覚に陥ると見え、自民党の提案はいつでも「間違い」、そしてそれに反対するのが正義であるといった報道が為されているように見えるのは不思議です。

アンチテーゼのみで生きている少数派の野党の真似を最近ではそれなりの勢力を抱えているはずの民主党までするようになってしまいましたが・・・どのような物事でも斜に構えてみれば面白いわけでして、例えば数年前、とある人が言っていた事を思い出します。イラク特措法に関する議論で、仮に政権政党である自民党が「我が国の自衛隊は外国の人道支援に関わる必要は無い。因ってイラク人道支援のための自衛隊派遣は不必要であると考える。」というような意思表示をしたらどうだったでしょう。

きっとアンチテーゼが大好きな2つの泡沫政党の方々が「人道支援」という言葉に敏感に反応し、「今こそが自衛隊の存在価値を発揮すべき時!」などと言い出し、「人道支援のためイラク自衛隊を派遣すべし!」と騒ぎ立てたのではないか?などと考えてしまうのは私自身がやはり「反対」が好きなので、あの泡沫政党の方々がそういえば「自衛隊の派遣は良くない」などと考えたかもしれないと言う禅問答のような世界での妄想でしかありませんでした。