ブランド破壊者

20年ほど前、欧州駐在員としてアムステルダムに居をおき、主に北欧、中欧を駆け回っておりました。我が国ではバブル真っ盛り、お茶汲みコピー取りすらまともにできない脳味噌の分際で「お茶汲みやコピー取りをするために入社したんじゃありません。」と豪語する、4年間遊ぶことだけで日々を過ごして何の知識も無かった大卒のバカ娘達が人員確保の為にやむを得ず採用された時代でした。

あの頃から我が国の民度が急速に衰退し、平成不況とやらに突入していったのでしょう。そして、その頃のバカ共は既に本来の不惑に達しつつ、未だにやれ韓流だ、やれハリウッドスターだと浮かれております。そのバカの最たるものはブランド至上主義でした。未だにルイ・ヴィトンのバッグをどう見ても年収1千万はあるまいと思われる貧乏人が持ち歩いておりますし、小さな集合住宅か庭も無い建売住宅で棲息する連中がメルセデスを月極駐車場に野晒にしておいています。

時計メーカーの出身者である私は、80年代、サラリーマンであった頃、多くのスイスブランド時計と接してきました。ある意味、その魅力に圧倒され、我が国では作りえないとまで思えるその技術とデザインの融合した、多分我が国でそれを目にしたのは私だけであろうという逸品も多々ありました。そういった品々の中、爪に火をともす思いで入手した日本では知られていないブランドの逸品がいくつかありますが、いわゆる高級ブランドの好きな我が国の人々はその良さが理解できず、それでも「これ、どこの時計?」と問うのでブランド名を言うとそれをあたかも三流以下の商品であろうと判断するようです。

我が家には世間で言われるブランド物がほぼひとつもありません。なぜならば、我が国で「ブランド品」と呼ばれるものはすでにそのブランド価値が低下し、破壊されたものばかりであるからです。物の善し悪しはその名前や価格からくるのではなく機能性、実用性を兼ねそろえた美しさであることを理解できない人々はお気の毒としか言いようが無いのですが、知らないことも幸せなのかも知れません。