悲劇の商品化

理由も無く人を殺したり、商道徳を無視して利益主義に走ったり、自らの力不足を認めず他人の責とし働かなくなったり・・・我が国の民はどこへ向かっているのか最近の不安であります。犯罪の増加は見逃してはならないとはいえあくまでも微増だそうで、むしろその理由に問題が多いようです。即ち、我が国の民のモラルが低下しているという部分にほかならないと思われます。

このようなモラルの低下は何故おこるのかというと、前述の「他人の責とする」という風潮からきているのではないでしょうか。メディアの普及に伴い、全国津々浦々で発生する事件を疑似体験として人々が共有します。災害や事件にに見舞われたわけではないのにその当事者の境遇に、心を痛め思いやることは私のような穿った目で見るなら「決して悪いことではない」と言えますが、実は多くの人々は人の不幸を楽しんでいるのではないでしょうか。

様々な悲劇が報道されるたび、心を痛めますが、実は何の縁も無い人の不幸であり、少しの間は覚えていてもその内容はすぐに忘れ去ってしまいます。仮に事件等の場合、犯人が逮捕された、刑が確定したなどの報道があると、今度は「ああ、そんなこともあったね。」と思いつつ、再度心を痛めるとはいえ、それもまた一時的なものです。その長きに亙り当事者は苦悩の日々を過ごしているのに、縁の無い人間は本当に一瞬の悲しみで過ぎ去るか、或いはあくまでも対岸の火事で終るだけです。

人を思いやる心は大切であろうと思います。然し、人を思いやる心をもっていることを一時的に認識し、「ああ、『私は』いい人なんだ」と思いたいという気持ちを満足させているだけなのではないかと時々疑問に感じます。そのような弱い人間の心を弄ぶように毎日ブラウン管からは訳知り顔で悲痛な面持ちのアナウンサーやレポーターが悲劇を原因究明や犯人逮捕に繋がらない「感情」ばかりを「商品」として報道という名のもとに垂れ流しているように見えてなりません。