不幸の手紙・幸福の手紙

昭和40年代半ば、未だインターネットどころかファックスすら存在していなかった頃、「文通」というのが流行しました。中学生の私はどのようにして知り合ったのかは覚えておりませんが、確か函館、三宅島、長崎等、5〜6人の文通相手(英語の授業で"penpal"と教わりましたが)の中学生がおりました。今思えば、異文化交流のボランティアをやる下地はその頃から既に持ち合わせていたようです。

そのうちのひとりが「幸福の手紙」というものを寄越しました。「この手紙を受け取ったら72時間以内に友達5人に同じ内容の手紙を出すと友達が増えて幸福になる」のだそうです。思えば、その頃から既に似非宗教団体、似非思想団体を嫌い、無限連鎖講というものに抵抗感のあった私はそれを郵政省(当時)の陰謀だなどと冗談で言いつつ、その手紙を寄越した中学生に「この手紙は意味は無い。私は既に友達は大勢いるし、幸福である。」と返事を書き、結果、その文通相手と言う友達を失いました。また、この裏バージョンもあり、「この手紙を受け取ったら72時間以内に5人に同じ文面の手紙を出さないと不幸になる」というのも存在していたと記憶しております。

中学生の娘がケータイなるものを手にするようになり、先日クラスメートから「このメールと同じ内容のものを友達に送るとその人と一生友達でいられる」なんぞと書いてあったとのこと。歴史は繰り返すようで、ひねくれものの娘は「そんなことしなくても貴方とは友達だよ」と返事をしたそうです。ただ、歴史は繰り返すのはDNAの問題だけではなく、そのような馬鹿げた「友達ゲーム」が30年以上の時を経て繰り返されている部分に問題があるということです。

私は、このような現象を「友情の押し売り」であろうと考えます。また、心の闇を上手に突いている心理的変質者の始めた悪魔のゲームであると考えます。コミュニケーション能力そのものが低下している現代では特にこのような心の隙間を突くのは私の少年時代より簡単なんでしょう。インターネット上のBLOGを見れば、「バトン」などと称していろいろな質問に答えつつ次の人に回して行く遊びも流行っているようです。これもまた形を変えた友達の押し売りでしょう。止めてしまうといけないような気がするのでしょう。30年前にもやりましたが、これをとめて不幸になると心配する人は私宛に送れば良い。そうすれば私のところでとまります。結局そうやって世の中をまわっているのはババ抜きのババでしかないことに多くの人が気がつかなくてはならないと声を大にして訴えたいものです。