地獄まで持っていくべき秘密

人に言えない秘密の話は誰にでもあるものです。その守秘性のレベルは内容によって変わってくるとは思いますが、タイトルのように地獄まで持っていかなくてはならない秘密はそれほど多くは無いでしょう。そういう危険な秘密の量は社会的責任の多寡に左右されているであろうと思われます。

週刊誌等では本来そういう秘密が暴露され、また人というものは悲しい性を持ち合わせているようで他人の秘密には妙に興味を持つようです。低俗であり且つ世間に歓ばれるのは有名人の来店を暴露する風俗嬢の記事のようですが、これは本来地獄まで持っていくべき秘密を暴いてしまったことに相当するでしょう。即ちその風俗嬢はとてつもない業を背負うことになるはずですが、きっとそこまで頭の廻らない生き物であるが故の悲しい出来事でしょう。(あくまでもそういう暴露話で涙金を貰って喜んでいる人に対する気持ちで、「全ての風俗條」を指している訳ではありません)

人はその置かれた立場で様々な秘密を蓄積していきます。忘れてしまえば良いのですが、どういう訳かそういうことは忘れられないものです。そして、他言しないことはストレスにも繋がります。「王様の耳はロバの耳」と穴を掘って叫んだとしてもそのストレスは解消されません。であるからして、社会的責任が重くなれば重くなるほどそのストレスに対価が支払われることになり、地位が向上したり所得が増えたりするのかもしれません。しかも、向上した地位や所得に対して更に多くの人が集まり時として好奇心から、多くの場合は利得を求めて喋らせようとするので、これまたスパイラル構造になっているような気がします。

個人情報保護法などというものが制定され、気がつくと何もかもがその個人情報に関わるのではないかと人々がわからないながらも考えて重箱の隅を突付きあっています。仕事柄、求めずとも知ってしまう秘密が多々ありますので、その辺の匙加減には苦労致します。情報後進国である我が国では情報は無料であり、知っているなら教えろよという考え方がつい先ごろまで横行しておりました。些末な情報であればまだしも、それこそ地獄まで持っていくべき秘密に関して「お前なら知っているはずだ。だから俺にだけ教えろ。」と厚顔無恥な方に問われることもたまにあります。残念ながら、当然そういう秘密は間違っても喋りませんし、こちらからそういう秘密を開示せよと求めることはいたしません。昔の人は「知らぬが仏」と上手な表現をしたものだと思えてなりません。