選挙が好き?

ノンポリという今では死語の部類であろうと思われるタイプの知人がおり、口癖は「政治なんてくだらない」とのこと。そして私に対しては「お前、選挙が好きだねぇ」と常々言います。確かに私は自らの住むさいたま市を中心とした埼玉県南部にゆかりのある国会議員、県議会議員の名前と政党はほぼ知っており、また、市議に関してはどのような勢力分布図があるか、そして今後の選挙活動に関する動向もある程度把握しております。

選挙が好きか嫌いかと問われればきっと好きなのでしょう。未だ小学校低学年だった頃、総選挙の開票速報が日曜日の夜にはじまると「北海道一区、定員○名、開票率○%」というアナウンスが妙にわくわくさせる響きをもち、その候補者が誰だか、そしてこの選挙というものが何のために行なわれているかすら理解できないままその様子を見守っていたという「ヘンな子供」でありました。そして成長と共に選挙とは国政を、地方政治を正しく行なう人を選ぶための唯一無二の民間人の意思表示であることを知り、これは「権利」である前に「義務」であることも学びました。

平成の大合併が行なわれ、地方自治体が相当数減少したとは言え、我が国には約1800の市区町村が存在し、その上に47都道府県が存在しております。これらの自治体にそれぞれ議会があり、首長が存在し、あわせて衆議院参議院の選挙がありますので、一般的な国民が参加する選挙の数は想像するに4000件くらいが4年間で行なわれていると思われます。その約半数が平成19年春の統一地方選というもので行なわれるでしょうが、それでも選挙というものは日本のどこかで常に行なわれているのでしょう。

単なるゲーム理論でその開票速報、結果を楽しんでいる部分は私自身も完全に否定することはできませんが、昨今の報道は選挙の動向や結果により、我々の生活がどのように変わるのか、そして今の国政や地方政治に顕れているのであることをどうにも忘れているように思えてなりません。そのようなメディアに言わば騙されている一般人は選挙をお祭り程度にしか考えず、他人事としてみているので投票率が低下し、「選良」が選良でない事態に陥りかねないことに気がつきません。選挙が好きか?と問われれば確かに好きであると答えますが、その前に選挙に行くという行動はボランティア活動でも趣味でもなく、あくまでも国民、県民、市民それぞれの立場としての義務であることを再度考えていただきたいものです。政治がくだらないのではなく、もしくだらないなら、そうしているのは投票に行かない愚者に責任があることに気付くべきです。