お役所と民間人の違い

全ての人が良識と常識を守りさえすれば法律とか規則とかを作る必要性は無いと考えたのは高校時代のことでした。実は当時の倫理社会という授業を日教組の急先鋒である大先生様に教わっており、何かというと「発表」をさせる先生で、私の番が来たときのテーマが「遵法精神」というテーマであったとき、そのようなことをまとめて発表したものです。同じ先生の授業で「差別」というテーマで発表をさせられたとき「完璧な差別社会が存在したらその社会には『差別』という単語が存在し得ない」という発言をし、「君は私の授業に出る資格は無い。因って今後倫理社会の時間は図書館で自習するように。」と申し付けられ結果五段階評価の2、即ち落第はしないが最低点である評価を受けました。これは閑話休題

法律も規則も人間が作るものであり、人間社会での利便性を考えて作られたもののはずです。その法律や規則に拘束され、支配されていることが一番顕著なのがお役所の人々であります。普通の会社員も自営業者も全ての人々が法律や規則に支配されている部分はありますが、お役所の人はとにかく法律や規則にこだわります。そこで一般的に使われる「法律を楯に」という使い方を覚えるようです。

お役所の人が好んで使う彼等の慣用句は「前例が無い」「規則に反する」の2つで、まずは後者の規則なるものに照らし合わせ反していれば前者の「前例が無い」を使用します。つまり、彼等は新しいことをやるという意識は一切持ち合わせておらず、十年一日の如く脈々と前任者から引き継いだやりかたを踏襲し、変化、改革という言葉を好みません。

一般的な社会では物事に対して肯定的見地からスタートするのに対し、お役所はまず否定してから物事が始まります。これはいつから行なわれてきたのか・・・実は相当昔からではないかと思います。少なくとも第二次大戦が終るまで、お役所の機能は「公僕」ではなく「統治者」であり、民間人がお役所に対して発言するのは意見、提言の類ではなく「お願い」がほとんどでした。そして、統治者としてのお役所はそれを全て否定する「権利」を有していました。その名残が戦後60年も経過しているのに未だにお役所に根付いていて、お役所で働くようになった人々は「まずは相手の立場を否定する」ことから展開していくように教育されているようです。そして、私達民間人は未だに心のどこかでお役所に統治されている状態から脱却できず、また、実はそれはぬるま湯に浸かった状態であるので、私も含めてそこから出られずにいるのでしょう。