女性のためのナントカ

女性の敵は女性であるという話は多くの方が語っておられます。我が国では女性の人権は戦後、ストッキングと共に強くなり、現在では男性の人権など存在せず、女性の天下であると「昭和のおじさん」としては日々感じておりますが、結局世の中オトコとオンナしかおらず、それぞれ敵対視しあうものではなく求め合うものであるはずなのに、一部の女性が「女性のためのナントカ」ばかりを叫ぶものだから今では弱体化したとはいえ男性がそういう女性に対して嫌悪感を抱くのです。

「セクハラとは『何をされた』ではなく『誰にされた』が重要である」というのが私の持論です。女性にはその「誰に」を定義する権利が与えられており、私のような小汚いオッサンは女子高校生にとって半径5m以内に入ってはいけない存在であるようですが、まあ、私も女子高校生に大しては異性としての興味を持てないので特に問題はありません。とはいえ、私達男性が「ブス」とか「ババァ」とか言うとそれは差別発言であり、場合によっては訴訟に至るようです。

一部の非国民が我が国の中に政治家が立ち入ってはいけない地帯を定義しようとして靖国論争を無理矢理展開していますが、女性が立ち入ってはいけないところより男性が立ち入ってはいけないところが平成の世になってからどんどん増えております。女性が土俵にあがってはいけないとかを争点に持ってこられる方もおられますがそんなものはごく限られた場所でしかありません。公共の場である電車というスペースで「女性専用車両」とやらが作られ、飲食店、映画館、遊技場等で「女性専用席」などができている中、男性専用車両も専用席も存在しておりません。「人を見たら泥棒と思え」ではありませんが、都心の電車に乗ると若い女性は「男を見たら痴漢と思え」とでもお考えの様子です。それでいてカップルは人目を憚らず車中で絡み合っていて概ねそれは女性側からのアプローチのように見えて仕方がありません。

まあ、そうは言っても、所詮私は昭和の遺物、世間に受け入れられない男尊女卑論者に過ぎませんので現代では負け犬の遠吠えでしかありません。然し、私は「全ての男性は女性から生まれた」ことを理解しておりますし、不慮の事態においては我が妻の為に犠牲となることも厭わないと考えております。所詮はそういう「守ってくれる人」が存在し得なかった或いは出現しそうに無い一部の女性が単なるやっかみから「守ってもらえる女性」を陥れるべく女性のためのナントカをあちこちにつくり、寂しい仲間を増やそうとしているに過ぎないのであろうと絶滅危惧種である「女性を愛しむ昭和の男」は思うのであります。