障害者様のお通りだ!

このテーマも以前に書いたものの焼き直しではありますが、最近あらためてその姿を見直したほうが良さそうだという話を何度も聞くものですから、ついつい書いてしまうことにしました。私が常に我が国のシステムに不合理を感じる「権力者」はこれまで「似非日の丸」と「似非人権」つまり、自らを愛国者であると言いながら歴代天皇の御名前を暗記しているでもない連中と差別を受けていると言いながらゆすりたかりを為す輩だけと思っていたのですが、最近ではこれに「似非障害者」が加わりました。

体の不自由な方は行政であれ一般人であれそれなりに助けの手を差し伸べるべき対象であります。そのことに対しては何ら異論があるわけではなく、むしろ私自身の義母も車椅子の生活をしておりますので、それなりの手助けをしておりますし、他所様にもお助けいただいております。当然、社会保障としてそれなりの税金が投入されることもあるべきですし、既にそのような社会的仕組みはある程度機能しているはずです。

然し、最近では、どのような手法を使うのか五体満足な方が障害者手帳を持っており、世の中のあちこちでそれを利用されています。特に精神的なものに関しては常々不思議に思えることが多く、自律神経に問題があると公言し、ゆえにこの作業には耐えない、このカネは払えない、オレの言うとおりにしろ・・・と申される立派な方を多くお見かけします。一昔前では「キチガイ」と呼ばれ蔑まれたはずの人種なのに、今では障害者長者となりかねません。時々、私もそのような診断でも受けて、お仲間に入りたいと思えるくらいに世の中を自分の好き勝手に泳いでおられます。

身体的であろうと精神的であろうと障害を抱えてしまった以上、それは与えられてしまったハンディキャップです。ですから周りの人が何かしてくれるのがあたりまえという考え方を持ってしまうのも仕方ないのでしょうが、今の時代、美談が好きな人が多すぎて、何でも手を差し伸べる、そして差し伸べられた手は「ありがたい」ものではなく「当然のこと」ととらえてしまう障害者の方が増えすぎてはいないでしょうか?確かに五体満足な人生を半世紀ほど歩んできた人間にはわからない辛さはあるでしょうが、そのうちの40年は眼鏡無しには生活できない状態でした。そして、それを他人の助けにより乗り越えたことはありません。人でなしと言われようとなんだろうと結構。敢えて言わせて頂くのは「障害者は健常者の助けの手にもっと感謝しなさい。」ということです。そういう態度が無いからお得な「似非障害者」が増えていくのですから。