パパかオヤジか?(或いはママかオフクロか?)

我が家の子供は二人、この春、長男は中学校2年生、長女は中学校1年生になりました。「昭和の親父」を未だに引きずっている私は長女が小学校にあがったときから一緒に風呂に入ることは無く、当初「パパ、一緒に入ろう」と言われるたびに「お前と一緒に風呂に入ることはもう無い」と言い泣かれておりましたが、徐々にそれが当然のこととなりましたし、長男が中学校にあがったときには狭い我が家を家具で工夫し、子供達の寝室をそれぞれに分割しました。

風呂の件に関しましては、時として知人から「早すぎるんじゃないか?」とか「嫌われるまで一緒に入れば良いのに」とか、「無理してるんじゃないのか?」などと揶揄されましたが、大和撫子たるもの父親といえども簡単に裸を見せるべきではないと元々思っておりましたのでむしろそう問われることが不思議でした。ましてや、知人で「オレは娘が成人するまで一緒に入っていた」という者がいましたが、いくら実の娘でも「女の子」が「女」となってしまってからもそういう行動に出られるとは変質者以外の何ものでもないと感じてしまいます。そういう環境で育つから昨今のバカな娘達は不必要に肌を露出しオトコの欲情を駆り立て性犯罪増加の要因を作っているのでしょう。

ところで、本日の記事は、実はこんな私に対して妻がつぶやいた一言に感動したということが主題であります。子供達がふたりとも中学生となってそろそろ一ヶ月という今、妻に「貴方は『パパ』としては碌でもない存在だったけれど、『オヤジ』としての存在価値はあるわね」と言われました。ふと考えてみれば、これは相当な誉め言葉であろうと思います。妻曰く「世間の「パパ」は子供が幾つになっても「パパ」でいたがり、子供を自分の所有物として可愛がりすぎる、これは「ママ」も似たようなところがある、然し、貴方は子供が小さいうちから「パパ」を捨て『オヤジ』に徹してきた。そして子供が中学校に入った今、自分としても「ママ」を捨て「オフクロ」になるべき時期が来ている」のだそうです。

確かに「パパ」の愛情には我が子達は飢えていた部分があるでしょう。つい先ごろまで、「パパは嫌い」と言われてばかりでした。然し、最近になって長男も長女も「オヤジ」の言葉を求めることが増えてきています。こういった今時の世間で「子育てが大変」とかいう考え方のもと、自立心を持たせない皆様方と、我が家のような自立させることを主眼に置いたものと、本来どちらが正しいかの答えは実は10年後、20年後にならないと出ませんが、私は「子供の人権」・・・即ち、子供は親の所有物ではなく自立したひとりの人間であるという考え方は絶対に曲げません。