本当に巧いか?

このテーマは手を変え品を変え何度も語っているので食傷気味な方もおられるでしょうが、例によって昨今の流行り歌関連です。結局は世の中全体のホンモノを見極める眼が現在では天然記念物のように少なくなり、それに伴いメディアの質が低下し、評論家と言われる人々も本当の評論をせず、何らかの力により左右された評論を述べる人達しか生き残れないのですから、仕方ありますまい。

流行り歌を流行らせる条件というのは多々あるようですが、やはりプロモーションに尽きるというのが本当のところです。大宮駅西口あたりにはストリートライブをやっていればメジャーデビューできると信じている馬鹿がたくさんいて、毎夜毎夜騒々しい音を立てております。確かにやらないよりやったほうが世間の目に触れ、ファンもでき、場合によってはどこぞのプロダクションにスカウトされる可能性がありますが、それは宝くじにあたるようなもので、やはり元々どこぞのプロダクションに売り込み、認められ、メディアを使ったプロモーションに乗っかって初めてスターへの道が開ける確率は高いでしょう。

最近のプロモーションで重要な要素となっているのはどうやら経歴のようです。すなわち、ナントカ音大の在学生だとか或いは一流大学の在学生だとか、そういったものを全面に押し出しています。外見も大事なのでしょうが、それは昔の方が重視されたポイントです。一流大学とか高校生とか言っているうちはまあご愛嬌として受け取ることができますが許しがたいのはナントカ音大というタイトルを掲げる連中で、たかが音大にいるだけで超一流のプロのような顔をしているヤカラが多いと思われます。

見栄えが重要視された一昔前は「実力も無いのに」と本格派の皆さんに揶揄されていましたが、今では「音大でござ〜い!」と言って世間を騙し、何ら実力も伴わない連中をあたかも本格派であるかのように売り出し、そして世間がそれに乗ってしまうという馬鹿馬鹿しい現象が横行しています。冒頭述べたとおり、ホンモノを見極められない人ばかりになったからそういう能書きに左右され「巧いんだろうな」という先入観に立っていることにも気がつきません。我が家の子供達は偏屈な親父の下に育ったため「○○は下手だけど好き」「○○は巧いから好き」と使い分けます。好きなのは好きで結構であると私も考えておりますが、世間一般の人たちはその「好き」だけで「巧い」と信じてしまうのでお気の毒です。