失われた俗文化〜春歌

この記事を書こうと思い、「しゅんか」と入力したところ、私のPCの辞書では「春歌」と表示されないようです。所詮は昭和時代末期までの下卑た宴会でメートルが上がってきた(これも「死語」と言われる表現ですが)頃、誰とも無く始まる俗文化であり、決して上品なものではありませんでした。当然、PTAや教育委員会のご立派な方々はこのような話題にはしかめ面をするでしょうし、特に昨今の男女共同参画カルトの皆様には大顰蹙といったところでしょう。

そもそも、私自身が学生であった昭和40年代〜50年代において歌われていた春歌が「正調」であるのかどうかも定かではありません。このような文化は概ね口伝えで継承されるものですから、徐々にその形を変えていくはずですし、新しいものが生まれ古いものが廃れていく傾向にあるでしょう。そして、カラオケなどの発展と共に概ね全てが廃れた結果、昭和が平成に変わる頃にはこの文化もなくなってしまったのでしょう。十数年前に体育会関連の会合で当時の大学生に聞いたところ「全く知りません」という答えが返ってきて初めて春歌が失われてしまった俗文化であることに気がつきました。

教育上良くないものであり、また、知っていても何の役にも立たないというものではありますが、昭和を思い出すとき、ちょっとした青春の思い出として蘇ってきます。多分、この起源は古く、遊郭でのお遊びの中で、芸妓さんが三味線に合わせて唄った都都逸のようなものでしょう。男性至上主義であった時代に、戦場に赴いた当時の軍人さん達や、バンカラを誇った旧制高校の猛者達が戦後まで歌い継ぎ、性行為を茶化しつつ笑いの種としていながらも、実はそこに文学的な流れが存在していました。余談ですが良く考えてみれば源氏物語なども実は官能小説でしかないという見解もありますので、本当は春歌も大変貴重な古典文学なのかも知れません。

最近では、コンビニの店頭にもインターネット上にも性風俗に関わる情報が散在しておりますので当時の思春期の青年達が「オンナのアソコってどうなっているんだ?」という素朴且つ純朴な疑問を持つこと無く、妙に耳年増に育っています。つまりは私の世代の思春期における性教育の一貫であった春歌の必要性は無く、あまりにストレートに性教育が為されている現代においてはこの春歌という迂回的性教育の必要性は無くなってしまったということでしょう。不必要なら無くなってしまっても良いのですが、知っていたものとしては一抹の寂しさを感じているといったところです。