中高一貫教育

中高一貫教育が大流行しています。元々、私立の学校で行なわれていたであろう事を公立の学校が真似し始めたというところでしょうが、高校受験というものが苦痛であるのでそれを避けることができるという不思議な考え方でそういう一貫校に子供を入学させようと考える親御さんが増えているようです。

受験というものがひとつの社会現象として何やら大変なことのように取り沙汰され、半ば社会悪として考えられつつもその「受験戦争」を勝ち抜くと一転してヒーローになれるという不思議な図式はきっと戦前からあったのでしょう。ただ、少なくとも戦後しばらくは中学校までが義務教育であり、高等学校というものはあくまでも選択肢としての権利であることを理解した上での受験という現象で、ごく一部の私立の学校が小学校なり中学校なりを併設しておったと記憶しております。つまり、高校受験というものは当り前のことで、ひとつの通過儀礼であったものです。

その義務教育という概念と高等教育を受けるべく進学する高等学校と言うものの価値がどんどん変化していき、「高校くらいでていなければ」などという愚かな発想が社会的に高等学校は義務教育の一環のような錯覚を生み、結果、行政までが勘違いをし始めての中高一貫校を作り始めました。5年間同じ学校に在籍したという旧制中学校に似たものがあり、そのコミュニティの中での連帯感は強まると思われますが、裏返すと限られたコミュニティでの生活を強いられる子供達は不憫に思えて仕方がありません。

私の世代では限られた一部の私立学校出身者だけがそういうコミュニティの経験者ですが、あと何十年か経つとそういう閉鎖社会の出身者だけで社会が構成されていく時代が来るわけです。決してその閉鎖社会が悪いとは言いませんが、私のように高校進学が新しい世界で、大学進学もこれまた新しい世界であった人間には小学校から大学まで同じところにいた人と比較すると、より幅のある社会的階層、人種、地域特性のある人々との付き合いができています。「視野が狭くなる」ということを考えずになんでも一貫教育に移行していくというのはそのうち日本国内がどんどん村社会というか閉鎖社会というか、そういう偏ったものの集合体に変化していくのではないか?という極論まで思いついてしまいます。結局はこれも何らかの力が働いて我が国の国民を画一化しようとしている誰かの思惑なのかと相当に穿った見方をしてしまうあたりが私が異端児である所以なのかも知れません。