損して得取ることはあまり無い

多くの事業主の方々や営業担当の方々が苦心惨憺するのが新規開拓です。仕事というのは待っていれば来るわけではなく企業を存続させるためには外に撃ってでなければなりません。ここがルーチンだけで済む企業(つまりは発展する必要性が無い)や、黙っていても勝手に人がお金をくれる団体(簡単に言えば「行政」のような存在)の人には理解できない場合が多いようです。

ただ、事業を営んでいる人や営業を担当している人は決してそのために血を吐くような努力をしているばかりではなく、人脈さえあれば紹介というありがたい行為が存在します。人脈と言うのは通常、学校の同窓や地域活動、異業種交流会、その他趣味の仲間等から広がっていきます。人脈を広げる努力をしている人も多くおられますが、私のような存在にとってはそれ自体が愚行。「積善の家に余計有り」というもので、人の為に何かしていれば人脈は勝手に広がります。邪まな考え方で何らかのボランティア等に参加してもそれが「良い人脈」を広げる結果にはならず、実は邪まな人には邪まな人が寄ってくるものです。

と、このような考え方に相反することが実は良くあります。まあ、それだけ私が邪まな生き方をしてきたのだろうと自虐的に考えれば済むことなのですが、知人から頼まれる仕事には時として「損して得取れ」式のものが多いことに気がつきました。普段、あまり深いお付き合いをしている訳では無い方が急に仕事の話を持ってきたら要注意。ある一定の、確かに仕事として成り立つ話は来るのですが、予算を問うと大抵こちらが赤字になることを言います。そして、「ここで損した分は必ず埋め合わせするから・・・」という決り文句がついてきます。或いは「取引先を紹介する」とかいう甘言もありえます。

そういう事情で請けた仕事そのものが赤字で終わり、その後同じ方から仕事が来たり他社をご紹介いただいたりした例はかなり少ないと記憶しております。むしろ、最初に予算の話、見積りの話の段階でこちらの損の無い金額を考えてくださった方々の場合には更に追加のお仕事、新しいお取引先をご紹介いただくなどの話が多くあります。私のほうから仕事を依頼する場合も同様ですが、「決して損の無いようにやってください」というのが正しい商売では無いでしょうか。「ここで損をしてもあとで取り返す」かどうかを決めるのは買い主の権利ではなく売り主の権利であろうと考えてしまうので、どうしても「損して得取れ」と言ってくる方のお仕事はお請けする気になれないのが事業を大きく出来ない理由なのかもしれません。