恐ろしい老人達

10代の頃、50歳という年齢は老人であると思っておりましたが、その50歳が近づくと自分は老人ではないと考えたい願望が働くのか、「老人」の定義が変わっていき、概ね60代後半くらいからが老人ではないかと考えるようになっております。これがあと10年経つとそれを70歳にしてみたり、更に20年経ってもきっと「ワシはまだまだ若い」なんぞと言っているのかはたまた既にこの世に存在していないのかといったところでしょうが、所詮人間など自分を中心にしてしか考えませんからそれはそれで善しとさせていただきます。

ただ、社会通念としての老人の定義は当然平均寿命が高くなるのと比例して高年齢化していて当然でしょう。ちなみに、私が就職した昭和50年代半ばには、多くの企業がそれまで55歳であった定年を引き上げつつある過渡期でした。そこでこの55歳という定年は何故設定されたかという話を聞いたのですが、実は明治期において、成人男子の平均寿命が55歳程度であったので、言わば「ここまで生きてきたんですから、後は余生をお楽しみください」という意味合いでの定年制度が設けられたとのことです。つまり、これを現代に当てはめれば、本来定年は75歳あたりが妥当なことになりますね。

そういう状況下ですから、未だに社会通念としての定年が60歳であろうとも、その後15年〜20年は多くの人がご存命・・・となるわけです。そこで「まだまだ」と考えてくださる方は大変喜ばしいお話でして、仮に行政関係者が天下りなどという必殺技を使っていたとしてもそれはそれで幾許かの社会貢献には繋がるでしょう。(バランスシートの上では「赤字」となるかも知れませんが)

ところが、今の世の中、数々の好景気な時代を生きてこられた方々がその定年を迎えているわけで、即ち基本給が高い=退職金が高額である=特に働かなくても老後は安心・・・といった図式が成り立つ方が多くおられます。退職金と年金を上手にやりくりすると30年くらいは生活できるという方が今の60代の方々の標準だそうで、私達団塊の下世代(?)には羨ましいというより恨めしいところです。そういう方々が「まあオレは90歳まで生きることは無いだろうから」という想いで、街に溢れ返り健康なくせに病院を占拠し百貨店の食品を試食し駅前でティッシュを集めまくるという行為に出ておられるようです。いや、全ての定年以降世代がそうしていると言うのではなく、極一部ではありましょうが、無駄に生きているのもいい加減にしていただきたいものです。明治期に55歳だった寿命が25年も延びたのですから、その生かされている僥倖を大切にして、社会貢献をしましょうよ・・・と言うと「貴様のような青二才がっ!」と叱られそうですが・・・