メガネで遊ぶな!

眼鏡のおしゃれが流行しています。実は視力に問題がないのに眼鏡をトレードマークにしている芸能人がいたり、眼鏡は着替えるものであるというコンセプトでメーカーが宣伝合戦を繰広げたりしていることに起因していますが、凄い話になると昨今の変質者集団であるアキバ系の中には「メガネ萌え〜」などというのもあるそうで、眼鏡をかけている女の子に欲情するなどという不幸な人々も存在しているそうです。全く恐ろしい時代になったものです。

昭和40年代、まだまだ日本は貧しい国でした。その時代に小学校から高校までを過ごした私の記憶では、クラスの中にいるごく僅かの「眼鏡っ子」は揶揄の対象でした。眼鏡というものは高額品であり、教室では目が悪い子は優先的に前のほうの座席を与えてもらえました。私もそのひとりで、小学校高学年まではそういう特権を与えられ、その後、「眼鏡っ子」となりました。眼鏡は高額品ですから、それは大事に扱い、壊してしまおうものなら親の叱責たるや大変なものでありました。

中学校から高等学校にかけての時代、世の中の眼鏡人種男性の大半が黒縁のゴツいフレームで、おしゃれとは程遠いものでした。また、金属フレームを使用しているなどというとよほどの伊達男であるとか或いは不良であるというイメージがあり、とはいえ、憧れの対象でもありました。そういう意味合いでは眼鏡のおしゃれというものは存在していたといえばしていたようですが、ごく一部の人に限られていたと思いますし、目が悪くもないのに眼鏡を使用している人は皆無であったと思われます。

最近は、目が悪いわけでもないのに眼鏡をかけ、それをファッションであると考えている人が急増しているようですが、少年時代の視力検査で一番上の表示がわからず「一歩前へ!」と言われた(今ではその「ネタ」が若い人に通用しなくなっていますが)私としては、不愉快極まりないことです。こちらは求めていない異物を常時着用していなくてはならない言わば軽度の障害を抱えている人間なのです。私が、ファッションで眼鏡を使用している人達に対して感じるのは、何の障害ももたない元気な若者が電車のシルバーシートに堂々と座っているのを見るかのような不快感です。しかもこちらは眼鏡が無いと街中を安心して歩けない、車の運転ができない人間なのですから、人の不幸をファッションの種として使われているというのはどうにも納得がいきません。まあ、耳に穴をあけたり折角の黒い髪を変な色に染めたりしている行為と同じなのだと考えればそれまでですが、それもまた馬鹿馬鹿しい行為でしかありません。