死にたがる人へ

年々自殺者が増加しているそうです。病苦、借金苦等がその原因の大半を占めているようですが、自殺に興味があるなどの不思議な理由での自殺が流行しているそうで、社会問題と化しているとのことです。元々並外れて丈夫な体に育ってしまった私は病苦というものが理解できませんでしたが、一度それなりの痛みを伴う大病をした時、病院のベッドで点滴されつつその痛みに「死んだらこの痛みは無くなるのか?」などと考えました。多分、生涯逃れることのできない病気を抱えた方はこんな苦しみではなく思わず自殺を考えてしまうのでしょう。

借金苦というのは私自身、現在進行形で経験しております。しがない零細企業の経営者としては特にバブルの崩壊以降本業より資金繰りに取られる時間が増え、毎月従業員の給与と事務所の家賃を払うのが精一杯。仕入先、外注先には支払いを延ばしてもらいつつも元々存在していた備蓄はとうに使い果たし自転車操業どころかその日暮しが続き、子供の洋服を新調してやることすらままならぬ十数年が続いております。借金はできるうちが華でして、銀行などというところは赤字の会社に融資などしてくれないのが現実です。サラリーマンの方が借金苦などというと所詮は家や車、家財道具、旅行の費用等でのものでしょっ!!と言いたくなります。何しろ我が社の借金は大口取引先の倒産に伴う負債増が最大の原因で、返済しても得るものは何も無いのです。給料がもらえるうちは頑張っていただきたい。遊んでいる時間にバイトでもすれば数年で百万単位のお金が作れますよ!

自殺に興味がある方には本当に困ったものです。テレビゲームのリセットという行為に関連付けられた行動様式なのでしょうか。ただ、そういう方々には「死にたいなら死ねば良い」と言っても良いのかな?と思います。誰にも告げずに死んでいくということは相談できる友達も作れない社会的不適合ですし、誰かにメッセージを流しているというのは本音は止めてもらいたいのですから。尤も相談されるのも迷惑な話ですが。

人は必ず一度死ぬものです。そして一度しか死にません。それまでの生きている時間を自分のものだなどと考えていることがおこがましいと私は自分に言い聞かせています。「生きている」などと考えず、「何らかの理由により生かされている」としたら、それは何らかの意義があってのことであり、それに逆らう方法が自殺ではあまりにも情けない。自分の存在意義を全うしての人生こそが私の目指すところですが、未だに自分の存在意義を定義できないのでまだまだ死ねないようです。