犯罪者の責任能力

殺人や傷害事件の犯罪者が逮捕された報道が流れるたびに「警察では○○容疑者の責任能力があるかどうかを・・・」という言葉が伴うような気がします。何故かこれが詐欺、脱税等の場合にはそういう話題にはなりません。

つまりは、頭を使った犯罪というものは、その容疑者は判断能力を有している者が全てであるという前提で捜査され、殺人、傷害等は判断能力の無い者が行なっている場合がある(または多い)ということになるのでしょうか。確かに、犯罪というものは常識ある行為ではありませんから、判断能力やら責任能力が無い人間が犯すわけでしょうが、この先が疑問に感じるところです。責任能力が無い殺人犯や傷害犯は何故か無罪になってしまうらしく、そのまま釈放され、世間のどこかでひっそりと棲息しているらしいということです。

40年ほど前、私が小学生だった頃も「ヘンな人」や「あぶない人」というのはよく見かけました。できるだけ目を合わせないよう、関わりあわないよう逃げていたと思います。最近、その頃と比較すると格段に多くのそういう人を見かけます。街中でぶつぶつ独り言を言いつつ歩いている人、酔っ払っているわけでも無いのに(酔っ払っているから許されるとは思いませんが)電車の中で無意味に人を捕まえて説教を始める人等々、街はそういう人で溢れ返っているかのような気がします。そう感じる私がもしかしたら「ヘンな人」なのかも知れませんが・・・

知人の精神科医に聞いたところによると、昭和50年代と比較すると現在の躁鬱病患者は数倍に増えているそうです。そして、それらの患者が鬱状態の時、何もかも否定的になると自傷行為に出るか他人を傷つけるかしたくなる衝動が強くなるそうです。そういった衝動から電車に飛び込んでしまうとか街中で刃物を振り回すわけですから、これは危険としか言いようが無い。まあ、現在の法律では、危険を予見してどうこうすることはできないそうなので、多少は仕方ないのでしょうが、それにしても、傷害犯がその責任能力があるか無いかを論じる前に事実その人物が他人を傷つけたり死に至らせしめたりしたという事実がある限り、まずは世の中の多くの人々の安全を考えて、刑務所では無くとも何らかの隔離措置を取るべきではないのでしょうか。そのような方々が無罪放免となった後、再犯に及んだ事例は多く、また、それらはあまり報道されていないということは私の考えすぎなのでしょうか。人権とは加害者の為にではなく一般市民のために存在すべきものであります。