反逆者が文部省唱歌をつくる

私が中学生の頃、70年安保闘争というのが行なわれており、多くの団塊世代の皆さんが一部の反政府主義者に騙されて学業を捨てて学生運動に身を投じておられたようです。辛辣な表現をしておりますが、その次の世代である私達はその反動で「しらけ世代」となり、無気力、無関心、無感動の三無主義に浸り、別の意味で碌でもない人生を送っているのが大多数です。

70年代、反戦フォークソングなどが大流行し、当時の若者は後先を考えず政府を倒せば良くなると信じ、愚行に及んでおりました。自由のためとか平和のためと言いつつ人を傷つけ闘う事を美化し、そこからは何も生まれないことに気づかず破壊行動に勤しんでいたということです。(ここでご立腹される方は核心を突かれたからであるという皮肉も付け加えたいところです。)ただ、反戦フォークソングを含め、その遥か彼方にあるゴールは自由と平和であったことですし、その目指すところは正しかったと思います。また、今の時代行なわれている自由や平和を求めた活動が100%正しいかと言えばそれも後世の人間から見ればお笑い種となりかねません。

ところが、世の中の懐古主義からか、当時の反逆的な存在であった一部の方々が最近、やけに絶賛されて世の中のあるべき姿を歌にして発表しています。私の世代で言うところの文部省唱歌のような歌で、清く正しく生きるとか世の為に生きるとかそんな内容のものが評価されつつ、多分、学校の音楽の授業などでも採用されているのでしょう。余談ですが、私の少し下の世代は中学校の教科書にサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」が教科書に掲載され世間の物議を醸したことがありましたが、どうやら南米の民族音楽であるということで大問題にならなかったはずです。

元々反体制を売り物にしていた人達が世間に認められ今や体制の代弁者となっているわけですから目出度いことなのでしょうか。社会保険制度に不平不満を言いつづけていた団塊以前の世代の方で、今日、堂々とその恩恵に浴している方が多くおられますが、それと同じで、自分が損であるときは声高に反対し、自分が利を得られる立場になるとそれを忘れて当然の権利とするように見えて仕方がありません。これらの元反体制の皆さんは決して当時の愚行を反省したり後悔したりすること無く青春の美しい思い出程度に考えつつ、今、正論を語っておられる幸せな方々なのでしょう。オマエはどうなんだ?と問われれば・・・私は子供の頃から社会正義と貢献を嫌々ながら細々と実践してきた変わり者ですのでこの議論に関してはいくらでもうけて立つ自信があります。