大東亜共栄圏をつくりたい

大東亜戦争なるものが終結して60年が経過しました。私はその戦争も終戦直後の我が国の状態も見てきた人間ではありませんので、どのような戦争だったのか語る術もありません。今の時代、実際にドンパチやった人はどんなに若くても傘寿を過ぎたご老人ですし、戦争の記憶がある人も当然還暦を過ぎているわけですから、事実としての戦争を語れる人のパーセンテージは相当に少なくなっていると思われます。

それは我が国のみならず、朝鮮半島の南北の国々、台湾、旧満州北方四島樺太の南半分にいる人々にとっても同じでしょう。それぞれの地域に住む人々は親の世代、祖父母の世代が語る話の中でのみその戦争の正体を推測しているに過ぎず、それぞれの地域の教科書には実はそれぞれの地域にとって有利なこと、そして他地域の非を唱えることが書かれているのですから、真実を知り得る人がどんどん減少していっているに違いありません。

朝鮮半島の歌に日本語訳すると「誰が祖国を分けてしまったの?」といった意味の歌詞があるようです。これは朝鮮半島を北と南に分けてしまったことに対する怨恨を歌っていて、その犯人は大東亜戦争の当事者であろうと思いますが、私には、この戦争で分けられてしまった祖国というのは前述の旧大日本帝国であった地域を示しているととらえたい気持ちが強くあります。と、ここまでで、どう見ても歪んだ国粋主義者の狂気的発言であると言われる方も多いでしょうが、決して日本がそれらの地域を支配してどうこうという考えを持っているわけではありません。

20世紀前半の、今と比較すれば未熟な国際関係論のもと、大東亜共栄圏という考えを我が国が推進しようとした時、基本的な考え方は欧米列強に対抗すべく、アジアがひとつになって栄える、つまり、「共栄」という考え方が少なからずあったはずです。問題であったのは、我が国がそれを支配しようとしたことであり、本当の共栄を目指せなかったことで、結果、不幸な戦争により、祖国がバラバラにされてしまったわけです。もし、その大東亜共栄圏がひとつの国のままで、その中での平和と平等が担保され戦後の60年が経過したとしたら、少なくとも朝鮮半島や台湾の国会議員も多数存在し、総理大臣も輩出している国となっていたはずではなかろうかと思います。無理矢理「別の国」として分けられてしまった結果、不必要な衝突と憎しみが存在しているのが今日の東アジア地域でしょう。ひとつの選択肢として、EUに匹敵する全ての国民が平等となれる本当の意味でも大東亜共栄圏ができてくれないか?という話をすると、やはり多くの人に「オマエはおかしい」と言われますが、今の区分に満足して他国を排斥している方がよほど歪んだ国粋主義であろうと私は考えてしまいます。