先輩の定義

高等学校時代の柔道部のOB会事務局を務めておりますので、毎年何度か学生幹事を集め案内の発送等の作業をさせます。こちらは1年にひとつ齢を重ねるのですが、学生幹事は毎年代替わりしていきますので、私自身がアニキであった時代ははるか遠く、今ではオジキ、それも彼等の親より年齢が上であったりするようになりつつあり、つくづく歳をとったものだと感じさせられます。

我が国の国民の全体的な価値観が徐々に変わっていくのは当然ですが、「今時の若い者」の価値観の変遷を教員でも無いのに目の当たりに出来るのは私は幸せであると感じております。尤も、大多数の教員はあくまでも教員ですので生徒との間に高い垣根があり、ナマの声とはさほど接していないであろうと思います。最近、気がついたことは、日本人の美徳のひとつであった長幼の序というイメージが失われていることや、三尺下がって師の影を踏まずなどという考え方は無くなっていることです。

私の世代にも共通する部分が見えますし、もっと上の世代でも同様ですが、我々は実は気がついていないのが、体育会の数年先輩は神様であるのに、十年以上離れた方には畏怖感が無いのか交わりが浅いのか、尊敬の念が少なくなります。ただ、私の所属しているOB会は上は傘寿を迎える方から下は今年高校を卒業したものまでが集まりますので、他所よりは格段に長幼の序という感性を持っています。ところが最近の若い者は何故か仲間内では先生を呼び捨てにしながら先輩には「さん」付けという風潮があるようで、何やら違和感を覚えます。

それはさておき、こういうOB会に所属していると、他の同窓会関連の会合に出席したときにもっと不思議なことを感じます。一度もお会いしたことが無く、即ちその日が初対面の方が1年でも先に卒業したということがわかると、いきなり「先輩面」をします。当然のように命令口調になり、昔の自慢話をこちらはじっと我慢をして聞くしかなくなることがほとんどです。そういう方々を私は偉大なる反面教師と受け止めつつ、自分のOB会の若い連中に将来の為に言って聞かせております。私の「先輩」の定義は「稽古をつけてくれた人」と「メシを喰わせてくれた人」だけであり、たかだか同じ学校を先に卒業しただけで先輩面をする人間は相手にせずとも良いと。稽古には人生のアドバイスも含みますし、いろいろな枝葉はありますが、人望というのはこちらが何をしてやったと威張って得るものではなく、黙っていても滲み出て個々に染み付くものなのですから。若い頃、柔道の師匠に言われたものです。「受けた恩は終生忘れず与えた恩は即座に忘れよ」と。