感動と勇気をありがとう

冬季五輪が始まったようです。若い頃はスキーなんぞによく行ったものですが、それは競技という意味ではなく娯楽の範疇でしたし、最近ではウィンタースポーツにはとんと縁が無くまた興味も無いというのが実状。テレビをつけてみるとルールがわからない、とはいえなんとなくエキサイティングな競技が行なわれているとぼんやりと見ていることもありますが、世間の皆様のように夜中までそれを見ていて寝不足になるなどということはありません。

時代の変化でしょうか、1990年頃までのスポーツ選手は不言実行が多く、何を聞かれても「頑張ります。」としか答えず、また、見かけも概ね短髪、さっぱりとしていたのが、最近ではそこらの路上でバカ踊りをしている汚いガキと見紛うばかりの人が増えています。まあ、それが格好良いとされているのでしょうからそれは良いとしても、メディアにも責任があるとはいえ、インタビューされるとこれが良く喋る。それも、試合前でもなんのその、「皆さんに感動と勇気を与えます。」なんぞと堂々と言い切る者までいるというのは私には噴飯ものです。その上、結果が出せなくてもインタビューで言い訳までしているのですから、日本人としての誇りはどこへやら・・・と思ってしまいます。

一時代前であれば、例えば1992年、バルセロナ五輪で決勝で敗退し銀メダルを受けた小川直也選手は当時のメディアに非国民扱いをうけました。その後、プロレスに転向し、そちらの世界では成功者となりましたが、そういう強烈なプレッシャーの中闘ってきた彼等には敬意を持って接したいと思います。その頃、国民の皆さんからの補助というのはそれなりにあったとはいえ、昨今の五輪選手とは比較にならない金額であったにもかかわらず、メディアはやれ税金の無駄遣いだのやれ恩知らずだのよくもまああれだけの罵詈雑言を浴びせることができるものだと驚いたものです。

それにひきかえ、最近では前述のとおりで当時と比較したらとんでもない税金からの補助、そして、スポンサーやテレビ局からの援助を受けている、たかがちょっと運動能力の高いだけの連中が、自分が神様にでもなったかのように偉そうにブラウン管の向こう側で語り、私の周りにいる多くの方々もそれをありがたがっているというのですから驚きです。この時期だけしか脚光を浴びられないでしょうし、やがて「あの人は今・・・」と言われる程度に落ちぶれる人々がほとんどでしょうが、そんな程度の人達でもこうやってほんの一時期とはいえ我が国の小市民を喜ばせてくれるということに対して言わせていただきましょう。「勇気と感動をありがとう!!」